やらなければいけないと思っているのになかなかやれないことが多いのに対し、必ずしもやる必要はないのに夢中になったり、気が付いたら夢中になっているものがある。
中には、やらない方が良いと分かっているのに夢中になることも少なくない。
夢中と書いた部分はむしろ執着と置き換えた方がより似合うかもしれない。
動機やモチベーションの影に執着が潜んでいるような気がするが、では動機やモチベーションの正体とは何なのだろうか?
執着に関してあれこれ検索すると、執着について書いてるわけではないが、東大王に出ている砂川さんのツイートが目に付いた。
混同されがちな「嫉妬」と「妬み」は、心理学上は違うものとして扱われるそう。
— 砂川信哉 (@sngw22) 2018年10月12日
嫉妬は「自分が持つ何かを奪いにやってくる可能性を持つ対象を排除したい」という感情であるのに対し、妬みは「自分よりも上位の何かを持っている相手に対して、その差異を解消したい」という感情。
「妬み」もさらに細分化されて、自分が努力してその人を超えようとするのが「良性妬み」、反対に相手を引きずり下ろそうというのが「悪性妬み」。
— 砂川信哉 (@sngw22) 2018年10月12日
またこの両方も感じようがないほど、相手が自分よりもはるかに優れていた場合に感じるのが「憧れ」の感情。「憧れ」は実は「妬み」から派生したもの。
妬みや嫉妬が、強力な動機やモチベーションの元となる執着を作っているのかもしれない。
被害妄想や煽り運転やストーカーにはこの辺が大きく影響してそうに感じ、さらに検索するとおもしろいツイートが見つかった。
小田嶋隆氏に返信もらっているのに今気づいたんですが、その直後にこんなツイート連投してるのを見て呆れ返っている pic.twitter.com/3QTlLUu8ye
— dragoner (@dragoner_JP) 2022年3月29日
世間から賢く物知りだと思われ、本人にもその自覚がある場合、正当で真っ当な意に反する指摘を受けると攻撃性に火がつくことが感じられる。
輩が反応してるのではなく、分別盛りが反応してるのだ。
なにやらウクライナ侵攻を命じたプーチンと通じてるようにも感じる。
一般的な動機やモチベーションになる感情には、勝ちたいや負けたくないがある。
別の表現をすれば、偏差値が上の人に嫉妬や妬みや僻みを感じることが動機やモチベーションを煽っているのだ。
『上になりたい』という気持ちよりも、『本当は俺(わたし)の方が上なのに』という気持ちが強いからかもしれない。
情報化時代だから、見えなくても良い他人の姿が多数見えてくる。
その度に嫉妬や妬みや僻みを感じていると病んでしまうのは当然だし、対抗するためにマウント合戦が繰り広げられるのは自然の摂理でもありそうだ。
マウント合戦が、有る事無い事合戦にエスカレートするのも嫉妬ゆえだと思うと納得できる。
世の中で起きてる出来事を、動機はすべて嫉妬や妬みだと考えると、理解不能な出来事の一部はビックリするほどシンプルな出来事に思えてくるから不思議だ。
人間誰しも、善良の皮は被っていても、自分の心にドス黒いものが渦巻いていることをどこかで自覚してるだろう。
そのドス黒い感情は、嫉妬や妬みが原因だと認めることはゾッとすることかもしれないが、それを認めることができれば、そのドス黒いものが少しは薄まるかもしれない。
人生100年時代と言われるが、生きてる人は嫉妬や妬みを励みに生きてると思うとあまりの香ばしさにますますマスクが手離せなくなりそうだ。