大学へ進学することはより良い人生を手に入れるため。
そんな思い込みを持ってる人は多い。
その一方で、大学へ進学することはレジャーランドやモラトリアムだと例えられることが昔からだった。
大学への進学を当然だと考える人の多くは、高卒や中卒で世に出る人の気持ちがよく分からないだろうが、自分が当事者の頃は勉強が嫌いなだけだろうとしか思ってなかったが、そうだとしても大学進学をしないという選択肢を選ぶことは、相当な覚悟とセットでなされていただろうと今なら想像できる。
大学進学を目指す同級生の存在を横目に見ながらのその覚悟は、諦めと似てたかもしれない。
大学進学率の推移を見ると、50%を越えたのは21世紀に入ってからなのに、ずいぶん昔から50%を越えていたようなイメージがある。
グラフの引用は下記サイトから
http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html
大学へ行って良かったかと問われれば『良かった』と答えたくなるが、逆に言うと行かなかった場合どうなったかが想像できないだけでもある。
学生の2人に1人が奨学金を利用しているのをご存じですか?
— NHKニュース (@nhk_news) 2022年4月1日
日本では年収が長らく上がっていないと言いますが…
私立大学の授業料は30年で1.5倍に増えているんです。
奨学金の返済が負担で、結婚や将来にまで影響…ということもあるそうです。 https://t.co/3uCxlv2bah
現代では、みんなが大学に行くから大学に行かないという選択肢がないかのような強迫観念を持つ人が多いかもしれない、昔だって進学校だったら強くあったから。
Googleで『大学へ行かないという選択肢』と検索してみた。
ズバリの反応は無いかもと思っていたが、
発想としては昔からある問いだろうが、日付けを見ると直近で改めて疑問に感じる人が増えてるように感じられる。
大学へ行かないという選択肢を考えることは、人生100年時代の後半の生き方を考える場合とも通じるものがありそうな気がする。
先入観や思い込みに縛られずに自由に発想することが問われる時代なのかもしれない。