日本に限った話なのでいわゆるガラパゴスな話。
いまだに学歴信仰が根強いのは、良い学校を良い成績で卒業できると良い会社に入れて出世できると信じてる人が多いから。
最近では学歴信仰に加えてコミュニケーション力信仰も強くなっている。
どちらかというと、コミュニケーション力がメインで学歴は保険かもしれない。
おまけのはずの保険が幅を利かせるのは、日本社会でビジネスゲームにエントリーする場合に保険加入の有無が要求されるからで、今となっては意味があるというよりもただの習慣に過ぎない。
一旦ビジネスゲームにエントリーすると、コミュニケーション能力が大事になるのだが、保険加入にエネルギーを注いだ者ほど勘違いする傾向が強く、実力を高めようと張り切ってしまう。
繰り返すが、あくまでも日本特有のガラパゴスな話。
高度成長期の日本では、コミュニケーション力とは上司や取引先にゴマを擦り、おべんちゃらやお世辞を言って媚びへつらうことが平気で出来ることだった。
このスタイルで出世した後は、部下に媚びへつらわせるパワハラ力がコミュニケーション力として求められた。
この時代の話として人間性も優れていた人の話を聞くことも多いが、おそらくそれは今で言うノイジーマイノリティな側に属する例外的なものだった可能性が高い。
さて、昔話よりも大事なことは今の話。
あくまでも日本に限った話だが、バブル崩壊以降ビジネスゲームとして展開される商品やサービスは大きく変わったが、社内人事や出世を巡るコミュニケーションゲームはあまり変わっていない。
ビジネスゲームの敵やライバルは、他社や他業界だと一般的には思われがちだが、実は敵にされたのは自社の社員。
派遣社員は推して知るべしだ。
『もっと稼いで来い』『給料泥棒』、これらがキーワードになるだろう。
そのために必要になるのは、コミュニケーション力を駆使したパワハラ。
売り上げを上げるよりも、いかに穏便に社員のクビを切るか、そのことが最大に評価される。
こんなことをやっていたら業績が伸びるわけない。
その結果、世界に通用しない今の日本がある。
このように考えると妙にしっくりくる。
元々の日本がこういう国だったとすれば、どこをどう弄ればまともになるのだろうか?
パワハラでクビを切るというスタイルが本来もっとも似合わないのが政治の世界のはず。
なぜなら有権者一人一票の投票の多数決で選ばれるのだから。
なのに、年々パワハラは増えてるはずなのに(統計ではなく実質的な)、投票率が下がるのは、パワハラの犠牲者があきらめているからだろう。
残念が無限ループを繰り返しているようだ。
ある方のツイートに触発されて思った話。