4月10日プロ野球でロッテの佐々木朗希選手が連続奪三振の新記録とパーフェクトゲームを達成した、プロ三年目の20歳で。
『ささきろうき』と入力してもまだ佐々木朗希とは出ない。
令和の怪物などと呼ばれてるが、入力時の自動変換の反応を見てると、野球が好きな人の中でもごく一部の人の反応に過ぎず、世間の注目があったわけではないことが分かる。
検索で拾える情報を時系列を逆に振り返ると、
プロ二年目の2021年は春期キャンプを一軍でスタートするがフォーム固めのシーズンとして過ごしたようで、井口監督やチームの方針もあるのだろうが何も知らない一般大衆からはプロで通用しないのかなと思われていても不思議じゃない実績だった。
プロ一年目の2020年は井口監督の『試合レベルに達してない』との判断で体力強化を図る一年となった。
令和の怪物と呼ばれた高校生時代だが甲子園には出ていない。
高校三年の夏は甲子園出場が期待されていたが、地区予選の決勝での登板を監督がさせなかった、結果チームは負け甲子園出場できなかった。
監督は多方面から非難を受けたが登板させなかった。
それは過度の投球による心身へのダメージを避けるためだった。
これが運命の分かれ道だったかもしれない。
Wikipediaには佐々木朗希のこんな話がある。
中学三年の時に腰の痛みを訴えたが、最初に診てもらった地元の病院では「身体が硬いだけ」と診断されたが、釈然としなかった当時の指導者が私立花巻東高校の佐々木洋監督に相談。大谷翔平が高校時代に通った青森県八戸市の病院を紹介してもらい、そこで疲労骨折と診断され、その後、半年近くをリハビリに充てることになる。
チームの指導者が釈然としなかったことも、運命の分かれ道だっただろう。
凄いボールを投げるということは、それだけ体への負担も大きくなる。
佐々木朗希のピッチングは骨に負荷を掛けるようで、骨密度の計測をさせた高校時代の監督が、体がピッチングに付いていけないことに気付いた。
このように時系列を逆に振り返ると、根性論やスポ根とは全く逆の、適切なタイミングで良い指導者や監督に恵まれていたことが分かる。
運命の分かれ道には人間関係があることが感じられるが、その関係性を良いものにできるためには自分自身の受け止め方も問われるのだ。
良い指導者や監督の判断は、時には受け入れ難いかもしれないが、それを受け入れたことも運命の分かれ道だったのだ。
ジョブズの言う『点と点は後から繋がる』を思い出す。