違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

不快な発言と不快な謝罪は『セット、セットセット〜』

今週は『懲りないな〜』と思える発言が目に付く。

 

最初はこれだった。

 

メンタリストDaiGo、ウクライナへ千羽鶴送る日本人を非難「狂気」「ただの迷惑」

 

 

記事を読めば分かるが、この発言内容は決して間違ってないが、決定的に間違ってるのは言い方であり、『お前が言うな』感が不快感を与えることだ。

 

 

そして昨日騒ぎになった吉野家&早稲田大学事件は、内容も言い方も不快感を極めたものだった。

 

発言を巡る話は引用しないが、この件では謝罪を巡っても不快感を与えていたことがバレたのだ。

 

 

 

 

リプを読むと分かるが、このツイートの後すぐに作成者名が消されていることを考えるとツイ主のファインプレーと言えるだろう。

 

 

真に不快感を与える人は、やることなすことが不快で、決してたまたまや言い間違いなどではないことが感じられる。

 

 

過去はどうしようもないとしても、未来に向かっては発言は本当に大事になるだろう。

 

一つ間違うと悲惨が待ち受けている。

 

価値観や本音はそう簡単には変わらないし、変えられない。

 

悪賢い者は、発言等ではミスは犯さないようにして、されると不快なことを別の何かに置き換えて巧妙に実行するようになるはず。

 

 

不快な発言と不快な謝罪はほぼセット。

 

CMでのザ・たっちの二人が『セット、セットセット〜』と言う声が脳内を流れる。

 

 

一目瞭然なブラックは減り、一見ホワイトな潜在的ブラックにシフトすると、その影には新種のコンサルがチラつき出すようになるはずで、これもまたセットだ。