地震の震度が3以下くらいの場合の話。
たまに地震警報が地震の後に鳴る場合がある。
こういう場合は、『今の誤報?』と感じ、恐怖は今ひとつだったりする。
しかし、地震警報が鳴って少し後(一瞬というほど早くはないが、しばらくというほど遅くもない)に揺れが来た場合の恐怖は大きい。
この直後にもっと大きいのが来るような気がして息が止まる思いだったりする。
そして、地震警報が鳴るくらいだから、ここは震源から離れてるんだと理解できる。
恐怖に身構えてる時の静寂はさらに恐怖を煽る。
地震の恐怖は、地震警報によって倍増してように感じるが、実際には警報後に地震が伝わるまでの時間差の静寂が恐怖を倍増させているのだ。
実は煽り運転の被害にも当てはまるかもしれない。
敏感な人と鈍感な人とでは反応が全く違うが、敏感な人だと『もしかしたら今の反応は相手の感情を逆撫でしたかも?』と思う場合は、その車が後ろにいたら後ろの様子が気になるし、前にいれば車間距離が気になりだすだろう。
事態は何も変化がなくても恐怖がどこかに芽生えたりする。
そして何も起きないわずかな時間差の後で相手が牙を剥いて煽り始めると恐怖は倍増するだろう。
こういう時鈍感な人は、法律には違反してないからというのが免罪符だと思いがちになるので、煽られ始めて『どうして善良な俺(わたし)が?』と戸惑う。
夜、通りを歩く足音が自分の家や部屋の前で止まって、静寂になったら心は穏やかじゃなくなるだろう。
静寂で恐怖を演出するというのはエンターテインメントのお約束だ。
お化け屋敷だってそうだし、ジェットコースターもだ。
ジェットコースターがスタートしてゆっくり頂点まで登り、下り落ちる前には一瞬の停止時間という静寂が意図的に設定されている。
映画でもだ。
オカルト映画やパニックムービーでは恐怖シーンが売りなので、恐怖が訪れるのは分かっているのに、その恐怖が予想を上回るのは意図的に仕掛けられた静寂が盛り上げ役を果たしているから。
恐怖の盛り上げ役を果たす静寂は、のどかで穏やかな静寂ではなく、静寂なはずがないシチュエーションだと心のどこかで気付いているからでもある。
恐怖をストレスだとすると恐怖センサーはオフにしたくなる。
何に恐怖を感じるか、あるいは恐怖センサーの感度は、生まれや育ちや時代によってピンからキリだろうが、人間は恐怖センサーだけをオフにすることはできないので、恐怖センサーが機能してない場合はどのセンサーも機能しない状態の鈍感センサーがオンにならざるを得なくなる。
辞書的には恐怖の対義語は、安堵、安心、平安、平穏と出る。
おそらく恐怖センサーが機能しない人は、安堵、安心、平安、平穏とも無縁のはず。
恐怖センサーと静寂の感度は時々チェックした方が良さそうだ。