以前、役に立たないことが大事だとブログに書いたことがあったことを思い出した。
つい最近のような気もしていたが、振り返ると5年前の17年6月だった。
5〜6年前頃は、日本人でノーベル賞を獲った方々が役に立たないことが大事だと訴えていた。
研究開発だけでなく人に対する評価も、すぐ役に立つ即戦力が重視されるようになって久しい。
無敵に見えたGAFAの一角であるFacebookが躓いたと思ったら、これまたコンテンツ界で無敵だと思われていたNetflixも躓いている。
これらの話には、ユーザーレベル目線と事業家や投資家レベルの目線で見えることが違ってくる。
ユーザーレベルの話としては。
『もっと使えるかと思っていたけど…。』、『無くなっても困らない…。』な話をよく耳や目にする。
即戦力や役に立つを求める先には計算や打算に対する期待しかないのだろう。
だから、その期待が期待通りではないと気付いたら目が覚めるのだ。
期待が自分の内側から出たものならばいくらでも修正可能だが、期待が自分の外側の社会や世間への迎合だとするなら諦めは早いだろう。
『何のためにそれをするのか、あるいはしたいのか?』という視点はほぼ無いのが現代のメジャーなユーザー像なのだ。
一方、事業家や投資家目線だと、規模の大きさは重要だが参入障壁の高さも重要になるということだろう。
規模の大きさゆえに過大な評価を獲ていても、参入障壁が低いと独占は持続できないのだ。
ところで、FacebookはMetaに変わりVRにシフトしてるが、この動きがエンタメ分野に影響を与えていて、その煽りがNetflixの出ているという説もあるらしいと知った。
こんなことを言ってるのは世間のごくごく一部のようだが、だとすると、Facebook改めMetaと Netflixはユーザーの食い合いをしてるとも言えるのだ。
この見立てが正しいならば、早晩影響は他のエンタメ業界にも飛び火し、ゲーム業界も揺れるかもしれない。
いずれにしても、参入障壁が低い業界では安定的な勝ち組が不在になるのかもしれない。
一方で、個人レベルに残されるのは、役に立ちそうにない参入障壁が低い分野だけになる。
このような分野は、実はライバルが少ないブルーオーシャンの可能性がある。
企業にとっては市場規模が小さ過ぎてまったく魅力がないはずだ。
個人が勝負するならこういう分野に限るだろう。