違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

アップデートが必要なものは永遠に未完成

考えさせられる記事があった。

 

Appleが長期間アップデートされていないアプリをストアから削除する動き

上記の警告を受けた『Motivoto』というゲームはすでに完成しており、そのため2019年3月を最後にアップデートは行われていなかった。しかしAppleからはProtopop Gamesに対して、「30日以内にアップデートが行われない場合、このアプリはストアから削除されます」との通知がなされたのだという。

 

 

Appleのこの動きに対しては、今のところアプリ開発者からは非難の声は上がっていてもユーザーレベルではこれからなのだろう。

 

 

ここで問題になるのは、『完成』であり『アップデート』だ。

 

Appleの判断を受け容れるならば、アップデートとは、永遠の未完成に対するフォローということになる。

 

アップデートの繰り返しを余儀なくされてるものには完全なる完成は見果てぬ夢のようなものになる。

 

AppStore上のアプリにとって完全なる完成とは、概念上の存在であり現実には存在しないということになる。

 

 

この理屈を人に当てはめると賛否両論巻き起こるはず。

 

引退、リタイヤ、隠居、Fire、余生、さまざまな表現がなされる生き方の多様性が排除されることが連想されてしまう。

 

もちろんこのような生き方をすることがアップデートと無縁とは言えないが、ここで肝心なのはアップデートが必要かどうか、実際にアップデートしてるかどうかは本人の判断ではなく、審判役がするということだ。

 

審判が判断するというとこの話が新しい。

 

 

 

この件では、世論は審判に対して逆風だったが、

 

 

 

 

登録抹消が佐々木選手の非を認めるものではないのだが、そう見えてしまうのが痛々しい。

 

さて、この件ではアップデートすべきは一体誰なのかを考えたくなる。

 

審判なのか、佐々木選手を含めた選手側なのか、プロ野球界なのか、報道する側の意識なのか、はたまた観客や世間なのか?

 

 

世界中で混沌とした出来事が絶えないが、そういう現場ではいつも独り善がりなアップデートがチラつく。

 

人間の歴史はアップデートの歴史で、永遠に完成することはなさそうだ。