古い仕組みから新しい仕組みへのシフトが起きる時には破壊や改革や革命が付きもの。
今ロシアがやってるような戦争でも何かを確実にシフトさせることにつながるだろう。
戦争のような破壊を別にして、一般市民が日常生活の中で感じる破壊もたくさんある。
例えば価格破壊。
モノの値段が安くなることは消費者にとっては単純にありがたい。
値段が安くなってもモノの品質が下がってしまえば消費者の心は冷える。
モノを作るメーカーや生産者にとっても必要十分な儲けが両立しなければいけない。
そのためには、作り手と消費の現場の中間にコストが掛かることが障害になる。
この中間の流通にかかるコストの省略や低コスト化が、品質の高さと価格の安さの秘訣になる。
この仕組みを成り立たせた背景には、規制緩和やグローバル化や構造改革など、当事者にとっては痛みを伴う破壊があったが、世間からは時代の流れだからしょうがないとしか思われない。
価格破壊はコモディティから始まり、徐々に難易度の高い分野にも波及する。
最近ではお葬式の価格破壊はテレビCMでもお馴染みだ。
教育関連が聖域なのは、投資という側面が強そうだからと感じる、つまり見返りを期待してるからだと思うと価格破壊が進まないことが納得できるが、投資効果というリターンを天秤にかけると時間の問題だとも感じる。
良いものを安くという合言葉は、最近は力を失っているように感じる。
品質が高いことをありがたがる気持ちも薄らいでいるかもしれない。
詐欺に引っかかったり、妙な冒険をしなければ、品質は良いのが当たり前だからだ。
こういうことは世界共通だと感じるが、わたしに見えるのはあくまでも日本に関してだけ。
さて、モノの品質は良いのが当たり前という環境下では、良いものを追い求めるという気持ちも熱意を失いやすいだろう。
はずれを選んで失敗するという事さえ無ければそれで良いということかもしれない。
必然的にみんなが使うものや、メジャーなものしか選ばなくなるという意識の低さが共通の価値観になりやすい、日本でiPhoneが売れるのは意識の低さが理由だとよく言われる。
そう思っていたら、決してはずれを引いたわけではなさそうなのに、それを良しとしない例として次のような話を聞いた。
少し前までブラック企業は大きな社会問題だったが、最近は新入社員が入社した企業がホワイト過ぎて『こんな会社にいたら自分がダメになりそう』という理由で転職してるらしいと。
ブラックだと言われることを恐れる、異なる世代が混在するコミュニティでは、年長者やコミュニティへの所属歴が長い人が作り上げたであろう文化やルールに従うのが原則だったが、ブラックやハラスメントに対する過剰な対応が、歴の長い人々を萎縮させるという新しいタイプの破壊も起きているようなのだ。
まるで古いインフラが自壊するように。
1923年9月に発生した関東大震災。
1945年3月の東京大空襲。
20年の間に起きた大規模な破壊が、その後の東京の都市計画を大胆にしたと言われている。
二度の立て続けの問答無用の破壊がなければ東京の都市計画は全く違うモノだったはず。
新しい創造が起きる場合、古いものが自壊あるいは破壊されるのはいつもセットなのだ。