違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

今の時代に必要なのは『かわいい』

人の性格や癖はその人固有のもののようでもあるし、本人が預かり知らぬ親を含めた先人から脈々と遺伝子やDNAを介して受け継いだものも多いはず。

 

もちろん後天的な人生の中で身に付けたものも多いのだが。

 

 

一つのことに集中できないという悩みは、危険に囲まれて生きてきた先人から受け継いだ、常に周りをキョロキョロして忍び寄る敵や危機をいち早く見つけなければいけないという生活習慣の賜物かもしれない。

 

他にも現代ではネガティブに捉えられ、人を苦しめる厄介事とされる不安や心配に苛まれることは、生きる上で大事なセンサーやアンテナがきちんと機能してるからとも言える。

 

由来が分かればおかしなことや不思議なことが起きてるわけではないのに、集中できないことや不安や心配で苦しむことは良くないことだとされるのが現代だ。

 

そんな現代では、おかしなことがまともなことのように伝えられることも少なくない。

 

 

いつの時代も自分が属する組織や集団のリーダーや、直接は知らない有名人や著名人の発言が一つの基準や目標としての力を持つことは、どこの誰とも知らない先人の遺伝子やDNAの影響を無自覚に受けることと良く似ている。

 

パスカルが言った『人間は考える葦である』。

 

パスカルは、考える葦と考えない葦は大違いだと言ったとされるが、考えても所詮葦に過ぎないとも解釈できる。

 

 

通勤や通学や頻繁に訪れる目的地へのルートは、だいたいほぼ同じで多少バリエーションを持ってる人でも明確にメインとなるルートに偏っているものだ。

 

徒歩は徒歩なり、自転車は自転車なり、車は車なりに。

 

意識的に毎日変えてみようとチャレンジしたが続かない。

 

場合によっては、メインルートが別のルートに変わったことは経験あるが、結局無意識のうちにメインに偏ってしまう。

 

考えてる時にも無意識が大きく介入し、無意識には遺伝子やDNAも介入してるのだろうなと思える。

 

さて、無意識に対して大きく遺伝子やDNAが介入するとなると、人類の歴史を振り返ると、不安や心配が関心事の中心になることは容易に想像できる。

 

 

お笑いタレントを集めてのトーク番組の中で、磐石な地位を築いてるはずの大御所のお笑いタレントが新人の動向を常に気にし、自分と笑いの種類が被ってないかをチェックしてると言って笑いを誘ったりするが、おそらく冗談ではなく本気だろう。

 

 

どうでも良いことが大きく話題になることがある。

 

そのどうでも良い話題がなければ嫌でもフォーカスされる出来事から目を逸らさせるための作戦だという説が出ることが多い、主に政治に絡んで。

 

権力者は権力を誇示するために、あるいは利益を誘導するためにメディアを使うことは知られてるが、不安や心配を薄めるためにもメディアを使っていることはあまり知られてない。

 

そもそも世の中には、どうして不安や心配が溢れているのだろうか?

 

 

不安や心配に支配されるのは、安心を求めるからだし、安心が簡単ではないからだ。

 

安心が簡単ではないのは、人間が『もっともっと』を求める生き物だから。

 

『もっともっと』は競争心から生まれる、短絡的には競争が悪となるが、だからと言って競争しないことが良いことだとも思えない。

 

 

競争が成り立ちづらい価値観が必要になる。

 

 

何かないかなと探していると、それらしきものがヒットした。

 

かわいい、だ。

 

女性的、中性的であることも良い。

 

かわいいだって競争を起こしてるだろうが、競争し合ってる姿はかわいいとは馴染まないことが良い。

 

ヤクザやヤンキーの物語で『かわいがる』と使われることがあるが、もちろんまるで文脈が違っている。

 

 

最近の流行の価値観だと感じるが、その割には男性には苦手な価値観であることも、女性でも肉食系はおそらく苦手なはずだと感じられることも新しい価値観に相応しい。

 

 

 

不安や心配や怒りや悲しみを助長する出来事が多い現代だからこそ、ちょっとは意識したいのがかわいいかもしれない。

 

競争しようとイキリたった心を穏やかにする力がかわいいにはあるような気がする。