違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

デジタル化はオリジナルとコピーに差がないことを促進

絵画の世界では正当な学習方法としての模写があるが、精巧な模写が本物として市場に流通すると、贋作というレッテルを貼られ犯罪になる。

 

贋作には、オリジナルの本物以上に本物感が求められるという意味では個人的にはアートとして成立していると感じるので、目利きを迷わせるレベルが評価されることには違和感は少ない。

 

むしろ違和感を感じるのは、鑑定や鑑別と称した行為で、それ自体が儲けのネタになってることだ。

 

コピー機の発達やビデオの発達で、著作物のオリジナルの価値は実質的には大きく下がったが、それでもアナログ時代にはオリジナルとコピーの違いは誰の目にも明らかだった。

 

類似のものには天然宝石に対する人造宝石もある。

 

 

しかし、デジタル時代が進化し、大容量化したデータを処理する能力がコモディティ化したら、もはやオリジナルとコピーの差はほぼなくなった。

 

特に二次元に関しては。

 

そして3Dプリンターが発達し普及すると三次元もオリジナルとコピーの差がなくなるのだ、良くも悪くも。

 

今はそういう時代なのだ。

 

デジタル時代にオリジナルにこだわるのはフェチで、マニアか変態のやることになる。

 

ここまでのところ、このような実際の現実に対して、オリジナルの価値を担保しようと抵抗しているのが著作権者やお上だが、お上もこの流れには抗えないと感じていても不思議はない。

 

 

しかし、日本の場合、そういうことを政府やお上が言い出すときには必ず裏があるのも事実。

 

そう思うと、勘繰りたくなるのが次の話。

 

政府、映像や音楽の著作権処理を大幅簡素化へ 来年法案提出 6/3(金)

政府は、個人や企業が映像や音楽をインターネットで発信しやすくするため、著作物の権利処理にかかる手続きを大幅に簡素化する仕組みを創設します。

 

 

簡単に背景にある事情を整理すると、

 

 

 

 

 

さて今後どのような展開を見せるのだろうか。

 

オリジナルが絶対優位を保つためには、コピーさせない、コピーできないという技術で縛るか、課金で許可を得る、ということになる。

 

しかし、デジタル時代はアナログ時代と違って、オリジナルとされてるものが実はすでにコピーされたものだということも少なくないはず。

 

デジタル化した現代では、大衆レベルの意識としては誰もオリジナルに価値など感じてない。

 

ブランド品を直営店から定価で買おうが、転売ルートから中古を買おうが、はたまたコピー商品だろうが、ブランドとしてそれっぽく見えてさえいればそれで構わないのが大衆なのだ。

 

モノが増え、コンテンツが増え、それらが絶えず増産されればされるほどオリジナルの価値などなくなり、むしろコピーの方が賢い選択になるのだ。

 

今はそういう時代なのだ。