何かを欲する場合、不足を実感するから欲しくなるというのが基本のはず。
しかし、そうとは限らないだろうと思うのが現代。
長生きしてる人だったらなんとなく心当たりがあるだろう、欲しくなるのは不足を実感したからだというシンプルな原理原則に。
不足を実感するから欲しくなるのが当たり前という場合には、不足してるということを知る必要がある。
そういう時代には広告宣伝が有効でかつ華やかだった。
昭和の頃、新しい広告やCMは、飢餓感や渇望感をいつも刺激していた。
翻って現代。
内心、今となってはそんなに不足を感じることはないなと思うことが増えている。
客の数より店員の数の方が多い量販店にも驚かなくなった。
せっかく買ってもどうせすぐに陳腐化するのは目に見えてるし、使えるうちは今ので十分だ思う人は増えてるように感じられる。
日本に限っては、国が貧乏になったからという理由も大きいだろう。
欲しいという気持ちにアピールするような、飢餓感や渇望感を刺激するような広告やCMは無いように見える。
YouTubeで古いテレビ番組を当時のCMも含めて流してるチャンネルを見てると、昔のCMってアピールが明確だったなと感じる、そして当時はそれが見てる消費者に響いていたのだ。
逆に、お酒やビールのCMは昔と同じような雰囲気で展開されてるように感じるのに、飲みたいという飢餓感や渇望感にアピールするよりも、健康を損なったり肥満の原因になったりという、別の不足を実感させられそうな気になるくらいで、飲まないほうが賢明だなと思ってしまう。
これは高齢化が進んだことや、何事も自己責任という時代になったことも大きいかもしれない。
良さをアピールしようとすればするほど、伝わるのは良さとはトレードオフの関係にある方ばかり。
ところで、広告宣伝とは無縁に業績を伸ばしてる業態がある。
100円ショップや百均とも100均とも呼ばれてる業態。
どの呼び名が多いのかとGoogle Trendsで比較すると、
ご覧のように100均がダントツなのだが、おもしろいのは業態としては新しいものではないのだが、検索上グンと伸び出したのは2013年以降となり、この頃から生活の身近により浸透したのだろうと感じられる。
2022年4月に出された帝国データバンクのレポートがあった。
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/p220402.pdf
100均はCMをしないと書いたが、その代わりに検索するだけでネット上には実際に使ったユーザーの比較レポートが商品ジャンル毎にたくさんあり、しかも信用するに足る丁寧なレポートが多いし、追記的に生産が中止や停止になったという報告もされている。
つまり、熱心な購入者やウオッチャーが多いのだ。
ということは、CMや告知などする必要がないし、仮に買って失敗したと思っても100均だからと諦めもつきやすい。
商品の価格が違い過ぎるので比較するのはなんだが、ネット上やSNS上では商品名やサービス名を連呼するだけの中身が薄い情報が多いのは、広告業界のそれでも効果があるという価値観に基づいているのだろうが、本当にそうだろうかと思ってしまう。
100均には100円ではない商品も多数ラインナップされてるし、昨今の情勢から100円の商品を継続的に出すことが困難だという話も聞こえてくるが、基本的な商品に対する考え方は変わらないだろう。
100均商品でもう一つ気付くことは、実際に作ってるメーカーなど誰も気にしないという点がある。
その代わりに、どの100均店舗で売ってるかが注目される。
100均側もユーザーやウオッチャーからそういう目で見られてることは意識してるはずで、劣化イメージを与えると即ネット上にインプレッションとして晒されるという自覚はあるはず。
100均での商品選びの動機には、不足を補うためというものもあるだろうが、新しい何かや、さらなる工夫の余地を求めての実験的でチャレンジ的な気持ちも少なくないはず。
日本がガラパゴスになる理由の一つとして、これは良い意味として、100均的な価値観というのがあるように思える。
CMや広告宣伝を、これ効果あるのかなという視点で見ると気付くことは少なくない。
そういう意味ではスーパーのチラシなどは効果抜群だと感じるが、量販店のチラシは『なんだかな〜』と思わせるものが多い。