人間がすることの多くには、ほぼ確実に相手が存在する。
することが広い意味でビジネスであるならば、相手が人間であるということに例外はない。
ただ、その相手が見えないことは珍しくない。
相手が見える場合と見えない場合で、態度や振る舞いを変えることは人間だったらあっても不思議はないし、相手が見えていても、どんな相手かによって態度や振る舞いを変えてるというケースは日常茶飯事だ。
イソップ寓話の『北風と太陽』を読んだ子供は、誰しも太陽のような振る舞いをしたいと思うはず。
大人だって頭の中ではそう思ってるはず。
しかし、現実社会には北風が吹き荒れることが多い。
理由はさまざまあるだろうが、短時間で確実に結果を出さなければいけないと思い込むことが原因であったり、実際にそのようなプレッシャーを受けるからというのが大きいように感じる。
結果には、必ずその前段階にプロセスという通過地点が発生する。
結果を出すのに短時間を求めると、トレードオフとして省略されるのは、必要なはずのプロセスになる。
このプロセスの省略は、効率化と呼ばれたり、意思決定の速さなどとも呼ばれる。
このような呼ばれ方をすると、時間を掛けることが必ずしも良いことではないと感じるし、実際にそういうケースも少なくない。
確実に結果を求めるならば、太陽的なアプローチが良いことは分かっているのに北風的振る舞いをするのはなぜかというと、その方が結果が出やすいという経験も大きいとすれば、相手側に当たるお客の側のせいでもある。
ところでおもしろいツイートがあった。
これはプロのサッカー選手とそのサポーターの関係性の中での話。
負けるとブーイング論争が必ずでてくるけど、拍手が甘いかどうかはサポじゃなくて選手が決めることだと思っているので定番のアレ、置いときますね
— Eighty🐬 (@NBNL_8) 2022年6月22日
試合後も俺は拍手したけど、頭の中にはこの森谷のコメントを思い浮かべていた pic.twitter.com/aXXbqLJYfg
ツイートに添付されてる文を読んでいただくと分かるが、次の試合へのエールのつもりで負けた試合でもサポーターが送る拍手は、選手にとっては太陽ではなく、ブーイングや罵声以上に北風となるらしいのだ。
改めて考えると、北風と太陽の話では、寒さに耐えるために外套をしっかりと着た旅人に対して太陽は温かく優しく照らしたのではなく、灼熱で攻撃していたとも捉えられるのだ。
この解釈は新鮮であるとともに、どうして今まで気付かなかったのだろうかと思ってしまった。
今年も既に始まった猛暑の夏が教えてくれたような気がする。