7月に入ってiPhoneの値上げが発表され嘆きの声が大きい中で、auの大規模通信障害が発生した。
この通信障害は、今朝8時の時点で70%が回復という状態。
通信障害なんてどのキャリアでも過去に大規模なものを何度も起こしていて決して珍しいものではない。
しかし、今回は過去と違う印象を受けた。
通信の専門家が考えるようなことではなく、末端の素人ユーザーとしての印象だ。(わたしはdocomoユーザー)
間もなく21世紀でデジタルが十把一絡げにITと呼ばれた頃、デジタルデバイスはスペックやデザインや機能の優劣で選別され、さらにそれ自体が蒐集の対象になるような動きも見せ始めた。
その頃生まれたガジェットオタクという概念は今も健在だ。
ITの中心がスマホを意味するようになった最近10年に限って言うと、スペックや機能の中心はカメラとアプリのためのものになっている。
カメラを気にするということは写真を気にするということだが、撮り貯めた写真をひっそりと自分一人で楽しむというよりも、SNSを通じてネット上にアップすることも重要になっている。
つまり、そんなつもりがあるかないかに関係なく共有してるのだ。
共有には、記録として撮り貯めたものをアプリで加工したり新たな表現へ編集したりして公開するものも含まれる。
こうなるまでにはITと呼ばれ始めた頃からざっと20年かかっている。
携帯電話が普及し始めた初期の頃は、通話エリアが限定的な音声会話だけでメールも使われてなかった。
やがてメールの方がむしろ主流になって行くのだが、メール機能が大々的に登場したのではなく、メールという機能が便利だよと口コミで広がって行った。
電話に対するメールの優位性として、発信したい人の都合やタイミングで発信し、受信した人は自分の都合やタイミングでそれを見ることができるという点が強く、コミュニケーションのルールや質の変化につながった。
東日本大震災で安否確認に固定電話やガラケーが使えない中で、スマホを使ってのSNSが機能したという話が多かったことで、その後スマホは一気に普及し、その話題の中心はいつもiPhoneで、ソフトバンクが急成長したのはiPhoneを扱っていたのがソフトバンクだけだったからというのは今となっては懐かしい話だ。
さて、7月に入ってこんな話題もあった。
地下鉄、バスにコンビニも... サービス終了相次ぐフリーWi-Fiの「現在地」
「集客効果」や「外国人観光客への対応」などを目的に2010年代に広がりを見せたが、ここに来て公共交通機関や大手小売チェーンでサービスの終了が相次いでいるのだ。
当初スマホの普及の障害として通信コストの高さがあったのだが、普及を促した要素としてフリーWi-Fiは重要だったはず。
試しに使ってみたらとても良かった、そんな体験をするともう無かった頃には戻れなくなる。
良いものを選ぶというのは、判断における合理性が支える。
逆に言うと、合理性の前提となる事実や価値観に疑問を感じたり違和感を感じると、あったはずの合理性は自然と消えてしまい、良かったと思ったのは誤認だったと気付く。
フリーWi-Fiを継続する合理性が事業者側に無くなったのだろう。
お客様は神様ではないというのは今や当たり前だし、そもそもあなたはお客様ですらない、そんな人は増える一方なのかもしれない。
ところで、わたしはdocomoの5Gギガホで契約しているので別途Wi-Fiは不要だと思っていたが、本体のOSのアップデートはWi-Fiが必要という不都合があるのだ。
docomoショップのWi-Fiが使えるので大したことではないのだが、キャリアの考え方の前提に、Wi-Fiが使える環境ではWi-Fiを優先するのがデフォルトのようだ。
インフラというのは生活に必要不可欠な割には感謝してもらえない傾向が強い。
使える時には感謝されない代わりに、使えないとクレームの嵐になる。
通信が途切れると、途端に何もできなくなるというのは現代人の宿命だが、その有り難さには日常的には感謝はない。