違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

痴漢冤罪とバッグの関係に見習うコロンブスの卵

突然なんの脈絡もなく知人と交わした昔の会話が蘇った。

 

 

知人

 

『最近の電車の中ではビジネスマンはほとんどが両手で吊革をつかむようになったね』

 

 

 

わたし

 

『片手を下ろしてる人を見ると痴漢かなって目で見るようになったね』

 

 

 

知人

 

『俺はすごく気を遣ってるよ、絶対しないけど最初に疑われるタイプだからね(笑)』

 

 

わたし

 

『混んでる電車では手提げバッグは網棚に載せれなければ足に挟むか、胸に抱くかして、両手のアリバイを作る必要を忘れてはいけないね』

 

 

 

多分、10年以上前の会話。

 

この会話を突然思い出した。

 

 

今やビジネス街で手提げバッグを使ってるのはもはや少数派のおじさんで大半はリュックか手ぶらだし、手提げのバッグを愛用する人の多くは混んでる電車は使っていないだろう。

 

そういえば、今や完全に市民権を得たビジネスリュックは、最初はスーツにリュックなんて大人の遠足かなんてバカにされていたが、満員電車ではリュックが邪魔と言われながらも、痴漢冤罪から逃れられる方がストレスとしては小さいし、両手がフリーであることは何かとありがたいのだ。

 

リュックがビジネスリュックというジャンルを確立し、フォーマル用途にも対応した一方で、カジュアル用途ではリュックとは別にメッセンジャーバッグも流行った。

 

主に自転車に乗って書類を運ぶメッセンジャー業務をする人が愛用したことから知れ渡った。

 

襷掛けにし、バッグ部は背中に回すスタイルは意外なほど安定するし、バッグを掛けたまま中身を取り出すこともできるという利点があった。

 

 

ちょっとGoogleTrendsで遊んでみた。

 

『メッセンジャーバッグ』『ビジネスリュック』は『痴漢冤罪』と関係するのではないだろうかと思ったのだ。

 

 

期間は検索可能な2004年以降。

 

さて結果は、

 



これはきっと関係あるなと思えた。

 

痴漢冤罪に対抗するためには、まずは両手がフリーであることを証明できると便利。

 

そういうニーズを、両手をフリーにできるバッグが汲み取ったのだ。

 

バッグやリュックの業界にとってはただのコロンブスの卵に過ぎなかったかもしれないが。

 

 

コロンブスの卵は、きっと水平思考の産物。

 

 

腕に覚えがあろうがなかろうが誰もが頭の片隅でイノベーションを起こすことを夢想する時代だが、時代をきちんと捉えてコロンブスの卵を狙う方がきっと確実なはず、、かもしれない。