ITの進化(深化)がバーチャルや仮想へ向かえば向かうほど希薄になるのが身体性や物理性を伴うリアリティ。
バーチャルや仮想とリアリティの間に存在するギャップを埋めるのは脳。
バーチャルや仮想であろうがあるいは現実のリアルであろうが、脳が快感や嫌悪感を感じる原理や仕組みには大した違いはないらしい。
現代的なバーチャルや仮想と、昔ながらの空想や想像や他人への共感などは、脳内では大して違わないらしい。
小説に描かれた世界を想像してその世界観に浸ることと、その小説を原作として映画化されたものを観ることとの違いに似てそうだ。
映画と想像が似てればまさに自分が思った世界観が表現されていて楽しめるだろうが、逆にギャップがあるとギャップの程度によって思いは複雑になるだろう。
これを一歩超えた世界観を感じさせるのが次のツイート。
自分がFPVドローン操縦してて面白いと思うのは、ミスると物理的にぶっ壊れるリスクですね。ゲームとかVRだとリスクがなくて脳汁があんま出ないw
— GOROman (@GOROman) 2022年6月17日
仮想通貨の世界では上記のツイートのドローン以上に過酷な現実が存在してることはすでに大勢の人が知っている。
テクノロジーが進化するに連れ先進国の人の生活水準が向上するに連れて生活習慣病が顕著になって来た。
楽で便利で快適な生活は、運動不足と食べ過ぎにつながったからだ。
楽で便利で快適とは、ある意味生活の仮想化やバーチャル化に通じるような気もする。
おそらく時代は仮想やバーチャルを進化(深化)させる方向に向かうのだろうが、そうなればなるほどスマホ脳どころではない脳の過大評価が進むだろう。
脳の過大評価が、身体性の過小評価を促進すると、一体どうなるかは想像に難くない。
一方で、物理的な限界として存在する身体性から解放するのが仮想やバーチャルだとするとエンタメとしては大きな可能性を秘めてる。
いずれにしても、身体性との対立が避けられない。
危険回避などの目的に使う場合には、身体性との対立はメリットだが、それは例外的な気がする。
法的には合法でも、最悪の場合身体への影響は薬物中毒的に感じられる。
仮想やバーチャルが描く未来が、身体に頼らないということなら、身体が老化や怪我や障害で自由ではない人には優しい世界だが、そうでない人の身体の老化や劣化を促進するだけかもしれないということは忘れてはいけない。