ある本を読んでいて改めて再認識したことがある。
人類は長い期間宗教を拠り所にしてきた。
社会規範や法律や正義(反対側には罪や罰がある)というのは、宗教や教会など神様との接点から生まれていた。
そして今でもその基本は生きている。
しかしながら、宗教改革(14世紀〜17世紀にかけて起き一言では説明できない)以降は神の権威は失墜し、信ずるべきは数字となった。
特にニュートン以来、神学や教会の権威に取って代わり新たに数字が権威となった。
大事なことは、数学ではなく数字だという点。
この流れと結びつくことに英語のinterestがある。
一般的には興味や関心という意味を与えられるinterestは、経済用語として用いられると金利や利潤を示す。
古来カトリック教では、金を貸して利息を取ることを禁止していた。
それが時間を掛けて壊れて、利息はinterestになったというのは改めて考えると実に興味深い。
宗教から数字の時代になり、数字の時代とは資本主義で、資本主義にとっての最大のinterestが金利や利潤だと考えると、interestは広い意味での成長を意味するとも言えそうだ。
このように考えると、世の中で起きてることのなぜが鮮明になる気がする。
しかし、この10年で資本主義の限界を訴える話もよく聞くようになった。
300年かけた宗教改革のような、数字(至上主義)改革が現在進行形なのかもしれない。
後の歴史の教科書ではその始まりがいつ頃で何年かけて行われたと解説されるのだろうか?
世界的な流れでいうと、数字(金利や利潤)の次に移ろうとしてるのだが、数字の次は一体何なのか?
一方日本の様子を見てると、宗教改革の煽りを受けたヨーロッパからの宣教師が来日し布教が始まった。
ヨーロッパで宗教改革が始まった頃から宗教の時代が始まり、その後の数字の時代になると、宗教が数字教にシフトしていただけにも見える。
例の暗殺事件以来、もしかしたら日本ではやっと宗教改革が始まっているのかもしれない。
いずれにしても次はどうなるのかそれが最大のinterestだ。