全然無関係な事象に共通性や関係性を見つけることは楽しい。
マネーの動きと水の動きにそういうことを感じた、そんな自己満足な話。
まずはマネーから。
このサイトで①1990年以降②G20の国、という二つの条件でGDPの推移をグラフ化したものを見ると次のようになる。
これで全てが示せるわけではないが、世界を駆け巡るマネーの総量は確実に増え続けてることが分かる。
アメリカと中国が急上昇して他の国は横這いに感じるがそれは縦軸の設定による視覚マジックのせいで、上昇率で示すと横這いなのは日本だけだと言われている。
人間は絶対性よりも相対性に一喜一憂する生き物と言われる。
テストで高得点を取るよりも偏差値が高いことを喜ぶのは、他人と比較しての相対性に関心が強いから。
収入にこだわるのは実現したい生活があるからではなく、他人より多いという優越感を求めているから。
日本が世界の中で相対的に没落してるのは、マネーの流れの総量における相対性で説明がつくとされている。
この説明は、技術関連における研究開発や論文数にも通じるとされている。
ここから先は話題が全然違う方向に展開するのだが、上記のような相対性と絶対性について考えていたら水の循環が脳裏をよぎった。
地球温暖化に起因して世界中で水の循環が大きく変化している。
南極や北極の氷が解けて海面が上昇し水没する地域が増えるなどとも言われる。
確かにツバルのように国土が海に没する国の話も伝わるが、極地の氷が大規模に解けてる話が伝わる割には思ってるほど水没地が増えてるようには感じられない、もちろん知らないだけということは十分にある。
少しばかり考えの前提を整理してみたい。
マネーとは違い、地球上に存在する水の総量はおそらく変化してないはずとする。
その水はさまざまな形態で存在してる。
- 海水
- 淡水
- 氷.雪
- 大気中の水蒸気
以上の4つで説明されるだろう。
地球温暖化で、大雨が増える一方で雨が降らずに砂漠化するという現象が増えるのは、雨の降り方に大きな偏りが出てるから。
これは水蒸気を大量に含んだ空気とカラカラの空気の極端化の進行で説明できる。
南極や北極の氷が解けても海面の上昇が極端にならないのは、解けた水の多くが気温の上がった大気に水蒸気の形で移動したからと考えると納得できる。
雪が多い地域では、冬に山に積もった雪が春夏とゆっくり解けることで地域に水を供給している。
つまり雪が天然のダムの役目を果たしているが、この雪が地球温暖化で雨になるとあっという間に大地を駆け抜けるかもしれない、そうすると雨季と乾季に分離するだろう。
広い地域に均等に雨が降れば恵みの雨だが、降る地域と降らない地域が極端化すると豪雨被害と水不足が隣り合って発生する。
しかし、地球全体での水の総量は変化してない。
総量は同じ水だが巡る地域と量が極端化する一方で、総量が増え続けるマネーも巡る量の極端化が国や企業や人の間で起きているのだ。
運が良いとか悪いとか、ということは人間レベルでは間違いなくあるだろう。