日本で喫茶店がカフェと呼ばれるようになったのはいつ頃だろうかとふと思った。
喫茶店をカフェと呼ぶのは妙にカッコ付けてる印象があったが、いつの間にかごく普通のことばとして浸透した。
スターバックスのせいのような気がする。
Wikipediaには日本の一号店が銀座にできたのが1996年とある。
2004年以降しかデータがないGoogleTrendsで見ると次のようになる。
検索もコンスタントに右肩上がりだがさすがにコロナはダメージだったようだが、そんな動きにも回復が感じられる。
そんな動きとリンクしてるのだろう。
感染拡大の影響、コーヒー関連の仕事希望者が増加…雇用不安から起業への関心も高まる
全日本コーヒー協会が2年に1回実施している統計では、1人が1週間の間に「家庭」で飲んだコーヒーの量は、20年には7・55杯と、18年の6・54杯に比べて1杯分増え、02年の統計開始以来最多を記録した。
15年前からコーヒーの講座を行っている「UCCコーヒーアカデミー」によると、コロナ禍以降、趣味ではなく「コーヒーを仕事にする」という理由で受講する人の割合が増えた印象があるという。
街中に喫茶店ではないカフェが増え始めたなと思うようになり出した頃から昔ながらの喫茶店は減り始めた。
コーヒー一杯の単価の違いが店づくりよりも大きいような気がしていた。
安いから入りやすいことと、空き店舗の活用需要が一致したからのような気もする。
カフェや喫茶店の利用者の多くは、いわゆるサードプレイスとして利用してるとすれば、支払う料金はメニューが目的というよりも、テーブルチャージとしての意識が強いかもしれない。
こういう意識しかない者は、頻繁に通っていても常連客とは違い、お店の運営や経営を思いやる気持ちは乏しいはず。
お店から見ると上客ではないのに『オレは客だから神様だ!』とすら思っているかもしれない。
たとえばカフェはノートを開いた学生で溢れ座れない。「2時間まで」と張り紙があるが明文化したせいで、注文したら2時間は居座って良いという認識に変わってしまう。対し喫茶店。混んでくると本を読んでいる常連ぽい人はパタンと閉じマスターに挨拶してそそくさと帰る。そういう店は張り紙もない。
— たま電企 (@tamadenki) 2022年8月26日
一人でカフェを利用する時のわたしは、このツイートの学生に似た気分で利用したいという本音を持ちつつお店の状態には配慮する、いい歳したおっさんだからだ。
カフェや喫茶店は幸か不幸か客を入り口で選別することが苦手で、それができるのは高級ホテル内の店舗くらいだろう。
カフェや喫茶店の弱点は、客を選び辛いという点だと自分のことを考えるとよくわかる。
ついでに自分のことを考えるとよく分かるのが高級レストランだ。
高級レストランには一種独特の雰囲気があります。「なんだか店に値踏みされているようで居心地が悪い」と感じる方が多いかもしれませんが、その通り、店は客のことを値踏みしています。
「お客様は平等に扱う」なんてのは大ウソです。レストラン業界には『ソワニエ(大切におもてなしするべき客)』という言葉があるくらいであり、一流の客や金払いの良い常連・重い客に対しては恭しく接し、どう見ても場慣れしていない一見客に対しては、人間だもの、おざなりな対応になるものです。
わたしなどが高級レストランは本能的に避けてしまうのは、自分のことがよく分かっているからだ。
昭和の頃は、ドラマや小説の中で喫茶店のマスターと常連客が探偵まがいの行動をするものをよく見たような気がするが、経営という点では繁盛店ではなかったような気もするし、繁盛店だったら舞台設定として成立しなかったはず。
喫茶店やカフェは個人が経営するなら、儲からなくても全然平気な人が趣味としてやるべきだろうと思える。