違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

トヨタ生産方式とは何だったのか?

極限まで無駄を省いて徹底的に生産性や効率を上げる生産方式をトヨタ生産方式と呼び持て囃されたのはいつ頃だったのだろうか?

 

全国の異業種の工場マネージメントにも進出してることが盛んに報道されてる時期があったことを覚えている。

 

ざっと検索してもよく分からないが、おそらく20世紀末から21世紀に移り変わる頃だ。

 

このことを思い出したのは、当時は日本の製造業の生産性の高さは世界のお手本で、そのリーダーがトヨタだったからだが、今や日本の生産性は世界に遅れを取っている。

 

一体あのトヨタ生産方式とは何だったのだろうか?

 

検索すると、トヨタ生産方式を採用した工場のほとんどが上手く行かなかったらしいと出てくる。

 

その最大の理由が、現場で働く人のやる気を無くさせるシステムだったからと出る。

 

 

1994年にオランダ人のカレル・ヴァン・ウォルフレンが出した本『人間を幸福にしない日本というシステム』を思い出さずにはいられない。

 

 

 

トヨタに限らず日本企業が得意としたのは、従来のやり方に改善や改良を施すこと。

 

トヨタは、このやる気を無くさせるシステムに改善や改良を施そうとしたようだが現状の日本を見ると失敗したことだけは明らかだ。

 

 

なぜ失敗したのかというと、どこかの誰かが開発したベースとなる何かが無いと最初の一歩が踏み出せない体質だからなのだ。

 

ただ、時代が変わってしまうと、最初に開発したどこかの誰かがシステムやプラットフォームを独占するようになったので、改良や改善ではメインストリームに乗れなくなってしまったのだ。

 

同じようなことはあらゆる分野の至る所で起きている。

 

政治経済、文化芸能など、何らかの業界が存在しそこに人的ヒエラルキーが成立してるような全ての分野で同じことが程度の違いはあっても起きているのだ。

 

現代の改善や改良は、表現を変えると、パクリやモノマネと同義でオリジナリティが無いことは分かる人には分かってしまうし、分かってしまうと評価の対象外になるのだ。

 

最近ではトヨタ生産方式は、『肝心なのはシステムではなく、情報を選び解釈する人間の創造力である』と展開されてるようだが、取ってつけたような改善や改良に思えなくもない。

 

 

そんな改善や改良だが、個人の趣味やDIYのような分野になると意味合いがまるで違ってくる。

 

それはクリエイティブと同義になる。

 

やってる人が楽しみながらやる気に満ちて生き生きとしてるのがその証拠だ。

 

同じことをやっていても、一つとして同じものがないというのも大きな特徴になる。

 

 

トヨタ自体は、日本では元気な企業として通用してるが、トヨタ生産方式を採用した他企業ほど元気がなさそうだし、そもそも日本に元気がない。