違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

地獄の沙汰も金次第?

世の中には正論を求める人と、その反対を求める人がいる。

 

反対を求める人が好むのがいわゆる炎上系。

 

正論への反応が理性的なのに対し、炎上系への反応は感情的であり衝動的。

 

では、同じ内容を理性的に表現した場合と炎上的に表現した場合の違いをデータで示すことはできるのか?

 

できるとすれば試行錯誤を積み重ねたメディアだけだろうし、そのデータには有効期間というか賞味期限があることも掴み取るだろう。

 

だからこそメディアと炎上ネタは切っても切れなくなる。

 

ついでに言うと、理性的とは言えない炎上系の供給がなぜ絶えないかというと深層心理に持ってる不平不満を煽る効果が大きいからで、それは極論すると儲かるからなのだが、そのトレードオフとして需要側からの蔑みを受けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「限りなく廃刊に近い休刊」 新潮45を追い込んだ怒り  2018年9月26日

25日夜に報道陣の取材に応じた新潮社の伊藤幸人・広報担当役員は、「限りなく廃刊に近い休刊。部数低迷で編集上の無理が生じ、十分な原稿チェックができなかった」と述べた。一方、「(自民党杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿を掲載した)8月号だけでは休刊の決定はしていない。10月号に問題があると考えている」とした。

 

 

情報発信の術が限定的だった時代には、炎上させることはメディアにしか出来なかったから、炎上という表現すらなかった、替わりにウソやデマと呼ばれていた。

 

しかし、時が流れ現代になり誰でも情報を発信できるようになると炎上はメディアだけの特権ではなくなった。

 

情報強者だったメディアが大衆を敵に回しすぎると逆襲に遭うようになったのだ。

 

結果、ことばや情報の応酬では勝負がつかなくなることが増えた。

 

 

そして、舞台の一部は訴訟の場になったのだ。

 

一昔前だと、揉め事や争いごとに弁護士が介入すると、弁護士に依頼した方が勝っていた、相手側がそれに対抗できないからだ。

 

弁護士に依頼するというハードルはとても高かったが、近年の弁護士余りで弁護士が安泰な職業ではなくなると、仕事を選んでられない弁護士は訴訟に出来ることには簡単に首を突っ込むようになった。

 

その結果、炎上に対抗する手段として金銭さえあれば簡単に提起できる民事訴訟が増えた。

 

民事訴訟自体が炎上ネタになりがちだが、法律が相手なのでトーンは下がりがちで迫力に欠け、炎上合戦に参加を躊躇う人も増えている。

 

スラップ訴訟で検索するとたくさん出てくる。

 

 

思えば、ネットを介しての情報発信が限りなく低コストになったことで活発になったのが各種の炎上系活動だが、それに対抗するためにコストを掛けて訴訟という武器を手に入れると簡単に鎮火するという事実も知れ渡った。

 

これによって、弱者が不用意に強者に牙を向けるということは相手を選ぶ必要があることが認知された。

 

このことが原因だろうが、強者に噛み付くよりも、強者のペットになった方が幸せだと思う人が増えてるように感じられる。

 

そして逆に今更ながら、簡単に提起できる民事訴訟の威力に強者の側が気付き始め、それを武器にしないのは損だと理解したようでさえある。

 

スラップ訴訟は、法律を味方に付ける行為なのか、それとも金で解決する行為なのか?

 

現実にはその両方なのだが、意識は金寄りだろう。

 

おそらく金次第で弁護士の働き具合が変化するはず。

 

 

強者は強者なりに、弱者は弱者なりに、地獄の沙汰も金次第だと気付いたようだが、そうなると、時代はきっと金ではどうしようもないことに価値を求めるようになるはずだ。