知った後で、知る前のことを振り返ると、知らなかったんだなと気付く。
何を言ってるんだ?、と感じる人もいるだろう。
人間の話をしてるのだが、PCやスマホなどの設定をイメージする方が分かりやすいかもしれない。
PCやスマホなどの場合は、設定やデータの入力は人間でいうところの教えるの一部に相当する。
極端に言うと、教えるの一方通行だ、PCやスマホは決してその設定を望んでるわけでもなく、データを知りたがっているわけではないのだから。
しかし、人間の場合はちょっと違い、教えるは一方通行では終わらないのだ。
いつの頃からか、世間には教えたがる人が増え、そんな人たちは教え魔と呼ばれ迷惑がられるようになっている。
由来を探ってみたが何となくしか分からないが、次の記事によるとボウリング場やゴルフ場やゲームセンターに多く出没したようだ。
教え魔の心理はどのようなものなのでしょうか。社会心理学が専門で教えることの心理状態に詳しい新潟青陵大学の碓井真史教授は2つの側面を指摘しました。
(1) 教えるものを愛している
(2)教えていることで気持ちがよくなる
ナンパの一種かなと思えなくもないが、声をかけられた人のほとんどは不快感を感じていて、不快感を感じない場合は相手の外見や振る舞いに対して好意を感じられた場合という意味では、まさにナンパの反応なのだ。
教えたがるの原点には、『きっと相手は知りたがっているはず』という錯覚や思い込みがある。
私たちはなぜ仕事でも趣味や遊びでも勉強し続けるのか、それは上達したいからで、そのために知る必要があるから。
知るための最初の一歩は、知らないということを知ることからだ。
それに対して教え魔が教えているのは、『知らない』ではなく、『気持ち悪い』や『迷惑』になっているのだ。
実際の教え魔の多くは、相手の気持ちに鈍感な親切な人というケースが多いのだが、悪質なのは声をかけられる相手の心が弱っている場合。
心が弱ってる相手を専門に狙い撃ちするのが宗教やネットワークビジネス。
しかし、狙われてる人たちは、自分の心が弱っているから狙われているということを知らないし、気付けない。
心が弱ってる人は、権威や貫禄にも弱い。
そのことを本能的に察知する教え魔は権威や貫禄を演出しようとする。
現代だったら高級車や高級時計や札束の写真を使ってが多い。
権威や貫禄は、案外チープなものだと知っている人は知ってるが、知らない人は知らないままで覚えようとはしない。
1月12日 #読売新聞 夕刊「よみうり寸評」で、#司馬遼太郎 さん『翔ぶが如く』をご紹介頂きました。
— 文藝春秋プロモーション部 (@bunshun_senden) 2022年1月12日
「貫禄がないと言う人に西郷従道が語ったという。『二頭だての馬車に乗せて東京を一周させれば自他ともにそんな気になって参ります』」
▼書籍リンク(一巻目)https://t.co/aYm4tL6a6V
教え魔だからと言って悪党とは限らないが、悪党はほぼ間違いなく教え魔だ。
自分が何を知りたいかも理解できない人は、悪意を持った教え魔が『あなたが知りたいのはこれですね』とアプローチされるとあっけなく虜になってしまうのだ。
『大事なことは教えない』という基本を知らない人は多い。
知らないということは恐ろしい。