データは取得された時点では無色透明無味無臭だが、そのデータに対する解釈が加わって情報になると、色が付いて匂いを発するようになる。
美味しいかどうかは食べなければ分からないし、それ以前に食べる気になれるかも問われる。
他人が美味そうに食べてるからといって、自分が食べても美味しいとは限らない。
食べ物だと体質的に食べられない食材があるということは分かりやすい。
だから同じような反応が情報に対してあったとしてもなんの不思議もない。
今ある本を読んでいるが、その中にこんな話がデータを示して載っている。
商品の価格は据え置きで内容量を少し減らす、いわゆるステルス値上げ、これが行われた後商品の売れ行きや販売価格がどのように推移するかがデータとしてグラフで示されている、データとしてはPOSデータ(販売価格と販売数量)の活用になる。
データとしては最新ではなくコロナ禍以前のものだが、そこにはステルス値上げをされて一週間後くらいから売れ行きが落ち始め、その後価格を下げ始めると徐々に売り上げが回復するという結果が出ていた。
メーカーがさまざまな事情から値段を上げた場合、コロナ以前だと客は問答無用で引いたのだ、日本では。
データとしてそのことを理解してると、値上げにブレーキがかかるのは当然かもしれない。
まさに、日本人ならではの反応だろう。
日本でデフレが続くのは、そうすることが賢明だとデータが教えた結果なのだ。
コロナ禍やロシアウクライナの戦争でさまざまなものが値上げを余儀なくされている。
そして、さすがの日本の消費者も値上げはしょうがないと納得してるように感じる。
わたしは便乗値上げも多いと思っているが。
問題はここから先だ。
まだデータにすらなってない未来をどう読むかだ。
さまざまな価格が上昇局面にあり、かつ所得が上がらない、上がるとしても物価の上昇を下回るということが定着したとすればだ。
データに色と匂いを付けて情報にするのが好きな人(=心配症な人であり心配を煽りたい人)の間では、来るべき未来はスタグフレーションでありハイパーインフレだと悲観するのが流行してるようだ。
もし悲観が実現するような場合には、そんな時こそ『赤信号みんなで渡れば怖くない』の実践だ。
みんな程度の違いはあっても苦しいのだから。
スタグフレーションやハイパーインフレの世の中になると、健康であることは本当に財産となり、貯金がなくても負債がなければ立派な資産家になるのだ。