違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『称賛』の使い方には人間性や生き様が強く表れる

今日のお題は称賛。

 

ここで一つ注意点がある。

 

称賛と賞賛の違いだ。

 

検索すると、「賞賛」の場合は賞金や賞品、賞状などを与えてほめたたえるのに対し、「称賛」は広く「ほめる」という意味だと出てくる。

 

そういう意味では、今日のお題は称賛となる。

 

 

ネット記事の見出しやTwitterで、いつの頃からか称賛というワードをよく見るようになった。

 

個人的には、徐々に称賛の大安売りだなと思うようになって行き、中身に目を通しても内容がとても薄いものばかりで、結局何が言いたかったのかと疑問に感じるものも少なくない。

 

同じような印象のワードに号泣がある。

 

見出しやタイトルに号泣と入ってるものも同様に結局何が言いたったのかと疑問を感じるだけというものが少なくない。

 

 

『ちむどんどん』草刈正雄登場、涙の熱演にネット称賛&感動「朝から号泣」 9/27(火)

 

このタイトルや記事内容に惹かれる人がいるとしたら、この番組を見たかったのに見れなかった人だろうが、だとすると当然視聴誘導が目的なのだろう。

 

 

このような使い方はすべての業種で行われ、販売を含めた商業的な成果を求めてだろう、八百屋の店先で『安いよ、安いよ!』と連呼するようなもので実際に安いかどうかよりも、場の賑やかしを演出するものというのは有り得るだろうが、政治的な悪臭が漂う場合にも似合うワードなのだ。

 

 

最近だと、元首相の国葬を巡る話でもキーワードになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

政治が絡むと称賛は、次の記事の喧伝と意味が近いように感じる。

 

 

その前に少し前置き。

 

https://www.weblio.jp/content/喧伝

盛んに言いはやし世間広く知らせること。

 

おもしろいのは例文

 

自由党員は、死刑への彼らの反対を喧伝するのが好きである

 

※あくまでも自由党と書かれてることが香ばしい

 

 

前置きが長くなったが肝心の記事はというと、

 

誤算続きの安倍氏国葬 4割が招待辞退、国会議員6割欠席、費用はエリザベス女王国葬以上 9/29(木)

「当初は各国の首脳が来日して華やかな弔問外交が繰り広げられると喧伝されましたが、フタを開けてみればG7首脳の出席はゼロ。噂された米国のトランプ前大統領やオバマ元大統領といった“大物”も来なかった。在任中の安倍さんは外交を最大の成果としていただけに、海外の要人の反応は寂しいものでした」(政治部記者)

 

太字にしたのはわたしだが、この喧伝と最近の称賛の使われ方が同じだなと感じる。

 

 

一方で、SNSやブログなどの末端の人々も称賛というワードを見出しやタイトルに付けるとPVが増えそうだと感じてる人は多そうで、特に商品レビューが絡むものでかつエンドユーザーの指名買いが多いとは言えないような商品に関して、きちんと内容を検証する気がある人だったら見向きもしないような称賛内容の記事も多い、その手の記事ではところどころに自己責任を匂わすような注意書きも添えていて、何も考えない人からするとそれを誠意だと感じるのかもしれない、書き手は免罪符のつもりで添えてるだけなのだろうが。

 

 

次のツイートは称賛の効果がバカにできないことを感じさせてくれる。

 

 

 

 

国葬に関して、称賛というワードを正しく使ってるものはないかと探していたら一つあった。(探せばもっとあったかもしれないけど)

 

 

 

使い方には人間性や生き様が強く表れるのが称賛。

 

注意して使おう!