人間が興味や関心を示す対象は、何かしらの意見を掻き立てる。
意見を太字にしたのは、他のことばにも置き換え可能なので、人によってしっくり来る表現があるはず。
そんなしっくり来る表現の多くは、感情を表す言葉であり、分かりやすい対義語を持っているはず。
たくさんあるはずだが、大きく分類すると以下の二つだろうか。
好き ⇄ 嫌い
共感 ⇄ 反感・反発
対義語を含めてこの四つに該当しない感情は大雑把に言って無関心や興味無しとなるだろう。
人や出来事などに対して本当に無関心で興味が無いと、心や気持ちがなんの刺激も受けないので、別な表現をすると心は常に穏やかと言えるだろう。
世の中のすべてに本当に無関心でいられたら心は常に穏やかで平和で幸せなはず。
退屈と似てるが、退屈なのは刺激を欲してるという意味では純粋な無関心とは違いそうだ。
しかし、実際には世の中のすべてに無関心に見える人は幸せそうには見えないことが多い。
そんな無関心は装われたもので、本当は不満や不安や怒りが強くてその結果諦めや絶望の方が上回り、肝心なことを見ないようにして無関心を装ってるのだが、案外周りにはバレてるものだ。
ビジネスであろうと趣味や遊びであろうと、あらゆる分野が人の関心を惹こうと情報を発信してる。
情報は、物語の形式で演出されたりすると、心の深い部分に刺さったり響いたりしてしまう。
それはその情報が、好きであったり共感するだけでなく、嫌いであったり反感を感じたとしても深い部分に到達するのだ。
好きであったり共感することは良いことで、嫌いや反感反発は良くないことと思いがちだが、どちらにしても心の深い部分に刺激を受けると人は不安定になるのだ。
ポジティブであってもネガティヴであっても、その思いが強いほど不安定になるのだ。
いつもポジティブに見える人にとってのポジティブは、決して力んだものではなく、心穏やかな安定したバカのひとつ覚えとも言えそうなものだ。
昔から〇〇バカと呼ばれることは、愚直に一つのことに打ち込む姿勢に対する称賛としても使われている。
ここまで書いて思い当たったが、最近の日本から消えた価値観の一つが愚直なのかもしれない。
ノーベル賞の季節だが、この時期になると必ず話題になるのが研究開発費を出さない日本について。
時間を掛けた愚直な研究や試行錯誤は少なくとも今の日本では流行ってないのだ。
愚直をネガティヴに捉える人は、退き際を見極められずにダラダラ続けるイメージを持ってるかもしれないが、愚直というのはその道の〇〇バカであり専門家なのだ。
行き止まりにぶち当たるまで進み続け、行き止まりにぶち当たったら向きを変え、場合によっては戻り、次に向かう方向を見つけて進むだけ、これを繰り返すことが愚直なのだ。
愚直は続けることに価値があるので、向きを変えたり戻ることはこの場合はなんら失敗ではないのだ。
愚直の反対語が、効率や生産性だとしたら、早晩行き詰まるのは効率や生産性の方だと思えてくる。
いや、言うまでもなくもう既に行き詰まってるのだ、日本に関しては。