Twitterのトレンドに『奈良県民』と出ていた。
何だろうと思って見ると、安倍元首相の暗殺場所にモニュメントを建立してはという案に対して奈良市長が『NO』と表明したことに反対意見が多数寄せられたことに対して、奈良県民がその場所にモニュメントを建てることがいかに不適切かと反論の声を上げてることが話題になっていたようだ。
ちなみに奈良の場合モニュメントは暗殺されたまさにその場所にモニュメントを建てろという要求がなされていたようだ。
この件に関しては、地元の人は賢明だなといういう以上には触れない。
それよりも興味としては、その立場がどうであれ一個人の暗殺に対してモニュメントなんて建立されてるのだろうかに移った。
調べてみると、大正10年と昭和5年に東京駅で首相の暗殺が起きていた。
大正10年は原敬、昭和5年は浜口雄幸。
浜口首相の場合は、襲われてすぐに絶命したわけではなく傷が癒えぬまま9ヶ月後に死亡。
現場には通りかかった人が気付かない程度の案内があるだけ。
画像の引用は下記サイトから
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk1017/
1963年にパレード中に暗殺されたアメリカのケネディ大統領の場合は、狙撃現場から182m離れた場所に市民の寄付で建てられた記念碑がある。
重要なことは市民の寄付でという点だろう。
1983年当時独裁国家だったフィリピンのマルコス大統領に対抗でき国民に絶大に支持されていたニノイ・アキノは国外追放されていたが帰国したマニラ空港で暗殺された。
ニノイ・アキノ暗殺後反マルコス運動が激化しマルコスは追放された。
フィリピンの英雄として国民の記憶に残ったニイノ・アキノには当然のごとくモニュメントがあるのだが、暗殺の舞台となったマニラ空港が名称をニイノ・アキノ国際空港と変更したのは1987年、この空港が使われ続ける限りその名が忘れられることはないのだ。
ここまで調べただけでも、やっぱり奈良県民は賢明だったと思える。