違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

夢中が熱狂に高まると溺れる

録画していたテレビ番組を見た。

 

 

 

この中に、この番組の全く核心ではないが、20年前に一部で流行ったセカンドライフがメタバースの先取りだったと少し取り上げられていた、今でも熱狂的なファンを持っているらしい。

 

決してメジャーにはならない(≒なれない)からこそ、ファンである少数派は熱狂的になるのかもしれない。

 

誰もが祝福する恋愛よりも、後ろ指を指されるような恋愛の方が当事者の熱狂の度合いは強い、少なくともドラマや物語の上では。

 

 

ふと、Appleの人気とダブった。

 

企業としては圧倒的にメジャーな存在だが、PCだとMacよりメジャーなのはWindows、スマホやタブレットだとメジャーなのはAppleのiOSよりもGoogleのAndroid。

 

枝葉に目を向けるとNo.1ではないのに、全体としてはNo.1に位置付けられるのはユーザーに熱狂的に支持されてるからだと言われる.

 

 

しかし、日本のスマホ事情に限ってはiOSのシェアは65%で、これはPCのWindowsを選択する理由と似てそうで、熱狂が支えてるというよりも最も無難な選択肢としての評価のように感じる。

 

 

各種の調査によると、日本でのiPhone人気の理由として最も多いのが、みんなが持ってるからというもの。

 

この傾向は年齢が若いほど、男性よりも女性の方が強いらしい。

 

大好きだからというよりも、横並びでいたい、仲間はずれになりたくないという思いの方が強いということがその理由なら、熱狂とは真逆の覚めた打算に感じられるし、打算というよりも迎合や諦めにも感じられる。

 

それが証拠に、日本ではiPhoneの場合モデルの年式など関係なくiPhoneでありさえすれば良いと考える人が多いようなのだ。

 

この傾向は転売ヤーにも当てはまるらしい、転売ヤーに商品を卸してる方の話を読むと、知識はほぼゼロで利ざやしか頭にないので年式など関係ないらしい。

 

まもなくサポートが終了するようなモデルであろうと、新品の体が装えればそれで良いらしいが、それは相手にしてるユーザーがそのレベルであることを物語っているのだ。

 

しかし、このような転売ヤーもそのユーザーも自己啓発には余念がないようで、自分は賢いつもりというのも共通点のようだ。

 

 

このように考えると、日本に限っては(他の国の事情は私にはわからない)、Apple人気はよく言われるような熱狂が支えているとは思えなくなる。

 

 

 

熱狂の反対語は何になるのだろうか?

 

熱狂してる状態は、過度に夢中になってる状態に感じられる。

 

それは冷静さに欠けてるようでもあるが、なんだかよく分からない何かを模索してもがく姿のようでもある。

 

何かを模索してもがく姿を想像すると、溺れてる人が頭に浮かんだ。

 

溺れてる人は別に熱狂したり夢中なわけではないが、側から見てると一心不乱に見える、もちろん好きでやってることではないのだが。

 

溺れてる人をイメージするとそのことはすぐに分かるが、現実社会の中には然も充実してるかのような顔をしながら本当は溺れてるということがあるはずだ。

 

水で溺れるような溺れ方はしないで溺れることが社会にはありそうだ。

 

溺れると、溺れる以外のことはできない。

 

 

熱狂の反対語は辞書的には冷静となり、同義語は溺れるではないかと思えてくる。

 

夢中になることは悪いことではなさそうだが、夢中が熱狂に高まると溺れることとほぼ同じになるかもしれない。

 

 

好きで始めたことのはずなのに、命取りになるのだ。