ちょっとおもしろい残業に関する話を聞いた。
最初に少しだけ残業に対する前提となるイメージをざっくりと整理したい。
昭和の頃の残業は、本当に忙しくて定時で片付かない作業を行うための場合も多かったし、忙しいフリをするためにダラダラと会社に残ってることも多かったし、中にはどうせ他に残業してる人がいてオフィスは使えるからと自分事の時間を過ごしてる人も少なくなかった。
そして、これらの残業に対して残業代が支給されていたのが昭和だった。
逆に言うと、残業代が出るからこれらの人が存在していたとも言えるし、基本的な生活設計に残業代は計上されていたのだ。
時代が変わって現代では、残業はするのもさせるのも悪になっている。
残業のためにオフィスを開けておくことで発生する電気代等のコストや残業代の支払いを嫌がる会社も増えたし、そもそも残業は定時内に仕事を完了できないということでもあり社員として能力が低いと解釈され、残業代を出すというよりもむしろペナルティを課すべきだという意見すら出るようになった。
その一方で、残業代が出たとしても残業そのものを嫌がる社員が増えたことに加え、残業代が支払われないやサービス残業やブラック残業も増え、残業そのものにネガティブなイメージが定着した。
私がおもしろいと感じたのはここから先。
会社員やオフィスワーカーにとっては当たり前なこの残業イメージは、『手に職』系の職人の世界でもらしい。
美容師業界では閉店後にカット等の練習をするための残業は今は無いらしい。
やるとすれば独学か、学ぶ環境を別に見つける必要も出てくるのだろう。
つまり、平均的な実力はどんどん下がり、練習環境を持ってる人とそうで無い人の実力格差はどんどん付く一方で、明らかに実力のある人が顕著に減少してるらしいのだ。
そしてそんな実力不足をカバーするために駆使するのがSNSで、それによって集客は可能だが、当然のごとく客はリピーターにはならないし、仮に一定期間は通ってくれてもファンになってくれるわけではなく、どうせどこに行っても、誰に頼んでも大差ないんだろうという諦めとも達観とも思える結論に至る人がとても増えてるらしい。
なるほど!
確かにそうかもしれない。
士業と呼ばれる専門家(弁護士、会計士、…)ですら推して知るべしというところだろう。
肝心の実力は伸ばそうとはしないで、広告宣伝やアピールの方法ばかりに熱心になる人や、それすら自らはせずに外注で済まそうとすることが効率的だとか生産性が高いと言われることの中身だと思うと、インフルエンサーなんてワードが世間に認知された頃から日本はどんどん衰退の度を高めてるなと気付く。
実力以前に、そもそも実体のある商品やサービスすら持たずに勝負することすらできるし、その達人が詐欺師なのだ。
もっとも詐欺に世界でも残業できる環境があるのかどうかも怪しいし、残業を嫌がる詐欺師だっているだろう。
おそらく年々肩身が狭くなるヤクザや暴力団も同様だろう。
そんな世界で、残業も厭わないで実力を高めたいと思っているのが半グレという隙間産業なのかもしれない。
お客や消費者の側に『どうせ…』という諦めや達観が芽生えることは、お客や消費者としての目利き力や実力を失うことでもある。
すべては循環するのだ。
政治家がバカなのは有権者がバカだから、これと同じなのだ。
このように考えると、派手な印象があるものには警戒した方が良いと分かる。
地味に頑張ってるところを目利きで拾いとるという意識が大切になるはず。
自分が選ばれたいと思うなら、地味に愚直に続けるしかないのだ。
生産性とか効率なんてあまり考えないことがきっと賢明なはず。