多くの日本人が少なくとも中学や高校で偏差値で序列づけられ、それに一喜一憂した経験があるはず、だからいまさら偏差値の説明は必要ないだろうが、ざっくり言うと最も人が多いのが偏差値50近辺でこれが中央値になる。
偏差値がこれより上がっても下がっても、上がるほどに下がるほどに該当する人はどんどん少なくなる。
偏差値という概念はものすごく多い人数の分布状況を把握する際の参考になることが多い。
日本人の多くは、この偏差値を中学や高校での自分の成績に適用されることで知り、大学進学まで一喜一憂は続く。
だからだろうが、偏差値は高い方が良く、低いとガッカリすると脳内に焼き付けられるが、大勢の人(最低でも数万人以上)を対象にテーマに応じて序列化が馴染むことであれば当てはめることは可能だが、テーマによっては偏差値50の方が喜びは大きいことも少なくないのだ。
ちょっと意外なものに血圧がある。
130〜140を越えると高血圧だと言われる。
適正とされる血圧には一定の幅があるが、これは医学的な基準というよりも、ただ単に最も分布してる人数が多い血圧範囲を適正値としてるだけなのだ、と養老孟司先生が言っていた、だから養老孟司先生は血圧の数値なんて絶対測らない、そんなことしても意味がないからと言っていた。
成績だと喜ぶ高い偏差値は、血圧になると嫌がられる。(もちろんあまりにも高いのは良くないだろうが)
成績だとガッカリする偏差値50は、血圧だと喜ばれる。
同様なものに経済における中間所得層がある。
経済が最も活性化するのは所得層における偏差値50が充実した厚みを保ってる場合とされる。
2015年、アメリカで貧困世帯と富裕世帯の合計数がミドルクラスの世帯数を初めて二世代続けて上回ったと、ビューリサーチセンターが報告した。
1971年、ミドルクラスは8000万世帯、貧困世帯と富裕世帯の合計は5200万世帯だったが、2015年にはミドルクラスが1億2080万世帯だったのに対し、貧困世帯と富裕世帯の合計は1億2130万世帯だった。
所得の高偏差値は、成績の偏差値以上に一喜一憂させられるかもしれないが、現実的にはミドルクラスの層が分厚い方が運は巡って来やすいはずなのだ。
いつの頃からか、中間層を抜け出して上を目指す上昇志向がより一層顕著になった。
それ自体が悪かろうはずがない。
問題は、何もしなければ中間層でいられたはずの人が上を目指したばかりに中間層の立場さえ失って下層に落ちてしまい、そうなると中間層ですら果てしなく遠くになってしまう、そういうことが増えているという現実だ。
所得の偏差値が上がらないならば、支出の偏差値を下げようと思う動きが出るのは不思議ではない。
実際に中流でなくても気分が中流でも満足度が高いなら悪くはない。
偏差値的な序列は世の中にはたくさんあるが、その評価を間違えてるということも少なくないかもしれない。
偏差値50の再評価は、より良い人生には役立つのかもしれない。