違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

アウトプットの基本

インプットよりもアウトプットが大事なんて言われるようになったのはいつ頃からだろうかと思い、Google Trendsで両者の比較を比較可能な2004年以降でしてみた。

 

 

この10年でインプットよりもアウトプットへが進んだように感じられるが、まあ単なることば遊びに過ぎない。

 

インプットに対するアウトプットとは、入力に対する出力。

 

ボーッとしてると、やった勉強に対するテストの点数みたいなものしかイメージしないかもしれないが、アウトプットには表現全般が入るはず。

 

ハロウィンでバカ騒ぎや迷惑行為をしてるのもおそらく表現行為でアウトプットなのだ。

 

インプットが好きなことや興味あること以外に、しなければいけない勉強ややらざるを得ない修行や訓練のように、本当は避けて通れるならしたくないようなことも含まれるのに対し、アウトプットは本当に嫌だったらできない。

 

アウトプットできるということは、気持ちのどこかで折り合いをつけてるからだし、多くの場合は積極的な好きが基本になる。

 

 

犯罪行為というアウトプットも、それができる人は正当化できる何かが存在するからこそだ。

 

オレオレ詐欺の首謀者が現場の実行犯を教育する際に『お前らが社会でいくら頑張っても良い目に逢えないのは金を持った年寄りが金を使わないからだ、そんな年寄りから金を巻き上げるのは正義だ』と言っていたのをテレビで見たことがある。

 

ロシアとウクライナ、そしてそれに関わる世界各国も独自の正義論で動いている。

 

北朝鮮が拉致をしてミサイルを撃つのだって独り善がりな正義という背景があればこそだ。

 

 

アウトプットを個人レベルの日常生活に戻しても同じ理屈は当てはまる。

 

つまり、嫌いなことや無関心なことに関してはアウトプットはできないし、嫌いなのに無関心なのに無理矢理アウトプットしてもそのレベルは低過ぎて何もしてないのと同レベルに止まるはず。

 

 

アウトプットは人間が身体を使ってすること全般で、喋ったり、書いたり、描いたり、作ったり、造ったり、創ったり、踊ったり、などなど。

 

 

理由はどうであれ、積極的な意思を伴わなければ始められないし、楽しくなければ続かない。

 

この楽しいというものには、成果が上がるということも含まれる。

 

現代では、成果が上がることを楽しいと感じてる人も多いだろう、金が儲かるからやバズるからのように。

 

 

アウトプットやインプットがよく分からなくなったら基本に戻ろう。

 

アウトプットの基本は好きで楽しい、インプットは自分にとっての好きや楽しいを探すためのもの。

 

アウトプットにも試行錯誤は付き物だが、インプットはもっとだ。

 

 

試行錯誤を楽しめる人が最強だ。