先日就活におけるオンラインテストの替え玉受験が話題になっていた。
ざっと検索すると、替え玉受験に関する話題の発信日付は数年前のものも多く、需要も供給も珍しい案件だったわけではないことが分かった。
この手の事件が起きると、本人の実力じゃなく受かっても後で苦労するだけなどという意見の方が多く聞こえるが、何事も結果を出せなければ評価されない時代なので、なんとかしてでも受かるための方策を求めることは決して間違ってない気がするので、個人的には不快感はあまり感じなかった。
それよりも、答えが何なのかもわからない、いや問題すらわからない課題が次から次の現代で、正解が確実に存在する問題を解かせてそれが何になるのだろうかと思ってしまった。
つまり、オンラインテストなんてやってる時点でその企業に明るい未来はないはず。
逆に、対外的には募集をかけてる体でも装うために、仕方なくやってるのであれば、それは理解できるが、その場合でもその企業の未来は暗いはず。
何かと勝ち負けで語られることが多く、誰もが負けることが嫌なのだろうことがすべての動機になっているとするならば、心の休まる暇はないはずだ。
それも休息が必要な人ほど。
12月に入ると同時に日本は全国的に寒波が訪れている。
無意識のうちに宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が脳内でリフレインしていた。
と言っても、全文を覚えているわけではなく、冒頭少々と途中を断片的にだけしか思い出せないので検索した。
改めて読むと、「雨ニモマケズ』はデクノボーの歌だと分った。
ここに出てくるデクノボーは宮沢賢治自身だ。
病床で死を待つばかりの時に書いた詩で、死後に発見されたので遺作となる。
死を意識して書いたことなので、すべて本音のはず。
現代人が目指すことの真逆ばかりで妙に新鮮な気がした。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ