東京オリンピックで一気に認知されたものにピクトグラムがある。
ピクトグラムの特徴は、事前の学習無しでも即時的、国際的にわかる伝達効果で、絵文字と絵ことばは単語と文に相当する。たとえば、トイレを表す絵文字があり方向を示す矢印が添えられると、「トイレはあちら」という絵ことばになる。
Wikipediaの説明からすると、絵文字の一種であり発展系と言えるかもしれない。
ピクトグラムは公共のためのデザインとして、国籍や人種やその他あらゆる属性に関係なく意味が共有されることを目指していて、そういう意味ではユニバーサルデザインになる。
一般的な絵文字は極めてパーソナルで個人的で、意味は当事者間で共有されれば良いことと似てるようで違いもあることが感じられる。
上記全ての要素を満たすものとして馴染みがあるものにアイコンがある。
wikipediaでアイコンを見ると、コンピューター上の記号表記を指すことが多いとある。
世間一般にアイコンが浸透したのはおそらくWindows95以降のパソコンやガラケーの普及に伴ってだ。
コンピューターなんて分からないという心理的なハードルを下げてくれたのは今にして思うとアイコンだったかもしれない。
膨大な情報の中から探してるものを瞬時に選ぶのにアイコンが大きく寄与してることは誰もが実感してるだろう。
同じものを示すアイコンも時間の経過とともにデザインが変更されることは少なくない、そうすると同じものに生じた古い新しいという時系列も瞬時に認識できる。
デジタル上のデザインの多くが、デバイスのスペックの高性能化とリンクするように、高精細で高画素化し緻密で複雑で難解な表現を目指すのに対して、まるで真逆なベクトルを貫いている。
GoogleTrendsで比較可能な2004年以降で上記で取り上げたワードの検索の推移を比較すると、
全てはアイコンから始まっていることが感じられる。
高度に複雑な処理が簡単にできるようになると、より高度で、より複雑なことを目指したくなるのが人情であり、それが世間のベクトルになるだろうが、そんな時こそ、よりシンプル、しかしより新鮮を感じさせるものの方が、より魅力的かもしれない。
アイコンの検索数が衰えないのはそれだけ魅力があるからだろう。
アイコン的表現に見習うことはまだまだたくさんありそうだ。
Excelやパワーポイントを駆使して展開してるプレゼンを、アイコン数個で置き換えられる方が、プレゼンとしては遥かにレベルが高いのは言うまでもない。