違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

座標を使うとデジタルアートを楽しめる

イーロン・マスク氏のプライベートジェットの位置情報を呟くTwitterのアカウントが凍結されたという話題が流れていた。

 

見慣れてかつ聞き慣れた位置情報とは、難しくいうと三次元座標だが、地上の平地限定だと限りなく二次元座標、いわゆる(x、y)になる。

 

なぜその座標情報を呟くアカウントが凍結されたかというと、究極的にはイーロン・マスク氏がミサイル等での暗殺を恐れてるからと言われている。

 

この件に関してはさまざまな情報があるのでこれ以上は触れない。

 

それよりも改めて興味を持っているのが座標についてだ。

 

誰がどこにいるという位置情報を緯度と経度を用いての座標のようなものではなく、机の上の紙の上で表現できるような原始的な座標だ。

 

 

あらゆるアートは数学に通じると言われている。

 

アナログの時代には、手先の器用な人やセンスのある人が修行を積むことでアートを極めていたが、デジタルの時代になると座標をきちんと掴み取る能力に置き換わっている。

 

アートと数学が融合するような分野では、頭が良いだけでは通用しないし、手先が器用でセンスがあるだけでも通用しない、適度に両方の要素の両立が必要になる。

 

直線をまっすぐに引くだけでも、始点を指定して角度を決めて長さに応じた終点を指定する必要がある、そこに複雑な曲線を加えると座標で表現するのは簡単ではなくなる。

 

 

平面上で簡単なデザインをするだけでも複雑に座標が絡み合うのだ。

 

アナログだろうとデジタルだろうと、実際に手を使って描く場合、センスがある人だったら数分で上手に書き上げるものをプログラムで描こうとすると試行錯誤しながら数日掛かりでは済まないなんてザラだ。

 

建築やファッションなど平面図を基に立体を作り上げる現場では、優秀な人には座標を掴み取るセンスが不可欠だ。

 

2010年のパリコレでのイッセイミヤケのテーマはまさに数学で、数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞の受賞者が実際に関わっていて、イッセイミヤケのデザイナーやパタンナーの理解力の速さに関わった数学者達も驚いたらしい。

 

デジタルでアートを楽しむというとApple pencilを使ってのお絵かきのようにアナログとの違いが感じられないものの方が主流だが、それだと結局楽しめない人も少なくないだろう。

 

しかし、座標を駆使してデザインするという純粋なデジタル表現の裾野も広がっていて、ビジネスだけでなく遊びや趣味としても広がっている。

 

これまでアートとは無縁だった人がアートを創ることを楽しむためのハードルは確実に下がっている。