現在、人の感情を絶賛逆撫で中なのが「リスキリング」だ。
直訳すれば学び直しを意味するのだが、自分に対して言われたと感じる人々にとっては、自分の人生や積み重ねたキャリアを否定されたかのように感じる使い方を岸田総理はしてしまったのだ。
岸田総理のこのワードの使い方の不味さもさることながら、リスキリングが持つ意味も不快を煽っているのだ。
そもそも学び直しとは何か?
おそらく資格の取得のようなものを岸田総理は意味したのかもしれない。
資格を取るぐらいのことは厭うなよという本音が出てしまったのかもしれない。
うまく行ってない人は怠けてるからだという本音でもあるだろう。
一方、それを聞かされた一般大衆にすればそんなことは散々やり尽くしているのだ。
一般大衆の本音は、学び直し程度で活路が見出せるような状況ではないというものなので、「ああこの人(岸田さん)はやっぱり何も分かってない」ということを思い知らされてイライラしているのだ。
Twitterを見てると面白いことを書いてる方がいた。
その文面だけを記すと、
リスキリングとは、リストラ(事業再構築)と首切り(キリング)を組み合わせた造語で、中高年に再び(Re)、「技能」(スキリング)を持たせ、雇用を流動化する政策「リスキング」もその範疇にあります。
ただ、不満を論っても事態は改善しない。
一人一人が自分に合ったリスキリングを定義し、事態の改善を図る必要があることだけは間違いない。
そういうリスキリングが定義でき事態の改善が実現できるような場合には、その内容は自分にしか当てはまらないものになってるはず。
この作業は、考えたらできるというような簡単なものではないが、偶然やハプニングには大いに期待できるはず。
つまり、考えてもしょうがないが、考えなければもっとしょうがなくなるのだ。
ちなみに、リスキリングに似た意味合いのワードとしてはリカレントがある。
リカレントは、社会に出た人が改めて学びなおすという意味で使われ、学びとは循環であり終わりがないという意味。
リスキリングには、リカレントをものすごく薄っぺらくしたような雰囲気が漂う。
きっとどこかのコンサルにでも吹き込まれて使ったのだろう。