実際にあるかどうかよく分からないのにあると信じてるものがある。
- 運
- 心
運は、あるとかない以外に良い悪いと使うことも多い。
心もよく似てる。
運には他力本願の匂いもするが、実力や努力とも無縁ではなさそう。
実力や努力と関係するならば運は、天や神様がくれるものとも違いそう。
経験上、運と密接に関係してそうに感じられるものにはタイミングがある。
※以下、経験上と何度か使うがこれは自分の場合もあれば身近にいた別の人の場合もある
タイミングは早過ぎても遅過ぎてもダメだし、忘れた頃に巡ってくることもありそう。
これまた経験上だが、運が巡って来て、その運を確実に活かせたような場合、人は謙虚になる。
信じて良いのだろうかという戸惑いと共に、これが運ならば、自分一人のせいで実現したとはとても思えないとでも思うからだろう、そういう意味で謙虚になる場合、身近な人に感謝を感じることがある、特に何かをしてもらったわけではなくても。
逆に言うと、運を掴んだかに見えるような場合に一人きりだと満足感や充実感は乏しいかもしれない。
人間のあらゆる肉体的な機能を理解してるのは専門分野を持たないベテランの解剖医だと言われる。
有能でベテランの解剖医ほど、脳や心臓を含めてどの臓器にも心の役目を果たすような機能はないという。
しかし、心が存在してることは一人一人が実際の自分に感じているはず。
心は一貫性があるようでも気分によって変動することも多そう、変動しながらもその変動には変動幅に中心点が感じられる。
そういう意味では、心にはやっぱりその人固有の要素が感じられるという点で存在を感じることができる。
一方で、説得や洗脳という外部刺激で簡単に変わることも少なくなさそう。
宗教の世界では「信じる者は救われる」と説くが、現実世界では「信じる者は騙される」という事件やトラブルが後を絶たない。
信じた結果騙される人が陥る心理には、「信じない者は地獄に落ちる」があるらしい。
自分のことだからといって簡単ではないのが、何を信じるかであり、何を信じないかだ。