偽情報が心を掴む場合とは、心配や不安や恐怖に関することが多い。
具体的な心配や不安や恐怖もあれば、漠然としたものまで含まれる。
偽情報には、心配や不安や恐怖を煽る場合と、心配や不安や恐怖から逃れるあるいは解消するようなものの両極端な二つに分かれることが多い。
この両極端な二つは、キッカケ一つで容易に一つに繋がる。
心配や不安や恐怖から逃れられることとは、夢や希望と置き換えることも可能だろう。
偽情報が説得力を持つ背景には、現実社会の中で正しく真面目に生きてる人よりも、汚れた生き方をしてる人や人望があるとはいえない人が良い目に遭ってるのを見るのが少なくないことの裏返しでもあるだろう。
汚れた生き方をしたいわけでもなければ、人望なんていらないと思ってるわけではなくても、良い目には遭いたいと思えば真似できる要素があるのではないかと探りたくなるのは不思議ではない。
実業に対して虚業という存在がある。
ものやサービスを作り、ものやサービスを財に転換するという事業が実業なのに対し、お金にお金を産ませようとするのが虚業で、金融機関など利息を目的とする事業。
虚業の一部は投資と呼ばれ一層盛り上がっているが、時代は虚業の親分のような嘘や詐欺も盛んになっている。
この虚業の親分には、ものやサービスのような対価となる実態がほぼないので虚業ですらない。
しかし、物語という偽情報がくっ付いてくるのだ。
この物語に、癒しや救いを感じた人が犠牲者になるのだが、自ら喜んで犠牲になるその姿はただのマゾヒストにしか見えないので、周りから普通の感覚を持った人は離れていく。
偽情報に癒しや救いを感じる人は、世間からは騙されてるとか洗脳されてるとバカにされ気持ち悪がられるだけだが、当人は信頼できる拠り所を見つけたと思っているのでコミュニケーションは成立しなくなる。
それもこれも現実の世の中が退屈な物語で溢れているからだ。
現代の退屈な物語は、厳しい現実や頼りにならない取り巻きの人間関係で構成される。
こんな現実から逃れるためには冒険に出るしかないのだが、そのきっかけとなる情報が偽物なのだ。
数学や物理学が人気あるのは嘘をつかない、嘘がつけないからかもしれない。
しかし、適度に数学や物理学を織り込んだ物語を作り偽情報に仕立て上げることは可能だ。
現在でも、アメリカでは人口の2%(約600万人)が地球平面説を信じているらしい。
この人たちが信じているのは、地球が平面であるという物語なのだ。
物語をバカにしてはいけない、なぜなら地球平面説を笑ってる人も自身の好きな別の物語の世界で生きてるに過ぎないのだから。
正しいかどうかでいうと雲泥の差であっても、生き方の差は50歩100歩。
みんな日常に退屈してるのだ。