怒りが込み上げた時、グッと6秒数えれば怒りは鎮まる、だから6秒ガマンせよ、というのがアンガーマネジメントの6秒ルールと呼ばれ、多分社会に認知されてる。
しかし、そんな6秒ルールなんて俺の怒りや私の怒りには通用しないと思うことは少なくないはず。
このアンガーマネジメントでは、怒らないということを目的にしてるためだろうが、怒りの種類や、怒りの妥当性についてはあまり触れないが、怒りのほとんどは人に向かう。
自分自身に向かう場合もあるが、圧倒的に多くの場合は他者に向かう。
つまり、怒りは人間関係(他者との関係性)の中で生まれているのだ。
大事な人を殺された、相手が人間だったら凄まじい怒りが湧くだろう。
では、相手が野生動物だったら、あるいは天災に巻き込まれてだったら、その時に湧き上がる感情は必ずしも怒りではないような気がする。
怒りは、何らかの被害を人間から受けるから生まれるような気がする。
この被害の中には被害妄想も含まれる。
自分に被害をもたらした相手が人間である場合に怒りが湧くとすると、相手は個人だけでなく集団や組織あるいはもっと広範な人間社会へと向かうことも不思議ではない。
怒りの発動は突発的に見えても、怒りの形成が突発的であるとは限らない。
アンガーマネジメントの6秒ルールが通用するのは、突発的に形成される怒りの中の一部だけのように感じられる。
怒りが、積み重なった時間の上に形成されていれば、何度も何度もガマンを繰り返した後であれば、きっと6秒ルールなんて絵に描いた餅だ。
では、怒りとは何なのか?
以下は自分のことだが、怒りが湧く時には二つのことを天秤にかけようとしている。
1. 怒る必然性や正当性があるか(他人から見ても怒って当然と思ってもらえるか)
2. 怒らなかったら大事なものを失うかもしれない
1は事情さえ伝われば味方になってくれる人は多いはずというような気持ちで、ルールを守らない人に対してや理不尽な暴力に対する正当防衛的な応戦をするような場合だ。
厄介なのは2を感じる時だ。
ここでいう大事なものとは大抵の場合、他人から見たらどうでもいいような見栄やプライドや自尊心や取るに足らない自分の世界観や価値観が蔑ろにされたと感じるような場合で、ざっくりいうと劣等感を感じるような場合で、詰まるところ被害妄想的な感情だ。
これを無意識のうちに、怒りを感じた相手に対して感じているのだが、その相手はまたお前かと同じ人に対してである場合もあれば、その都度別人というような場合もある。
2のパターンで怒りを感じる場合、その相手が学校や職場を含めて身近にいて、接触を避けるということが難しい場合は本当にストレスになるだろう、根本的には環境を変えるしかないが、変えた先でも同じことが起きることを考えると、環境を変えるよりも自分が変わる方が手っ取り早くて確実かもしれない。
筋トレや格闘技が流行る理由の一つはそれかもしれない。
怒りを感じる場合、心理的には自分の方が不利で弱いという思いが強いかもしれない。
そんな相手に対して有利を感じられるような何かを身につける、あるいはバカとは関わらないとでも達観できると良いだろう。
最近の若い人が会社に馴染もうとしないという話も先手を打った自己防衛だと思うと納得できる。