今朝のTwitterのトレンドに酸化グラフェンとあった。
酸化グラフェンって何だと思ってトレンドに上がってるツイートを見ると、ざっくりと言うと陰謀論みたいなものだった。
その他にも南海トラフ巨大地震や『メス呼ばわり』などという香ばしいものも上がっていた。
それらを見ながら、改めて思った話し。
こんな話を聞いたことがある。
『バカな奴は真実かウソかにこだわるが、大事なことはその話がおもしろいかどうかだ』と。
この話を思い出して思ったことに、真実かウソかにこだわる人と、真実とウソの区別がつかない人は、お互いに相手をバカだと思っているのだろうな、ということがある。
しかし、観点を変えると両者は目くそ鼻くその関係なのだ(つまりほぼ同類)。
真実かウソかにこだわる人の多くは(わたしもそういうタイプ)賢明でありたいと強く思っているはずだが、上手に世渡りできないタイプでもあるだろう。
一方で、真実かウソかの区別がつかない人は常に人に利用されるだけで、これまた世渡り上手とは無縁だろう。
世渡りという観点で捉えると、上手な人はほぼ例外なく話がおもしろいはず。
話がおもしろいとは、すべての人がおもしろいと感じるという意味ではなく、伝えたい相手に伝われば十分なのだ。
つまり、話がおもしろい人がターゲットにするのは真実とウソの区別がつかない人になるのだが、この両者の関係性は教祖と信者が典型。
教祖の役は、露出の多い有名人であれば担えるので広い意味でのインフルエンサーが該当する。
真実にこだわり正しく表現して伝えたいと思ってる人は世間からは真面目と評価される一方でその話は、分かり辛かったり、オチや結論が明快ではないことが多いので、必然的におもしろくない、結果として影響力を持てない。
だからといってウソを吐いたりもできないので、おもしろい話をするということがよく分からないはず。
あるいは、自分がおもしろいと感じる話のおもしろさを伝えることが苦手だったりヘタだ。
古来、人を魅了するのはストーリーテリングと言われ、その最大のスパイスが不安や心配や恐怖。
上手なウソで不安や心配や恐怖を演出できる人が強いのだ。
世間にどうしてこんなに詐欺が多いのか、一連の強盗事件の実行犯も指示役に騙されてるという被害の連鎖で成り立ってるという経済圏すら見えてくる。
それもこれも、おもしろい話から始まっているのだ。
おもしろい話には気を付けろ!