違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

後から悔いるから後悔

暑いくらいに暖かい4月の始まりにも落とし穴が潜んでいるかもと考えてみた。

 

 

何かを始める場合、心地よいセールストークをキッカケに始まることは多い。

 

一旦生じた関係に継続的なランニングインセンティブやランニングコストが発生する場合、関係解消は簡単ではない。

 

携帯電話等の解約を思い浮かべると分かりやすい。

 

たらい回しにされたり、意思を伝えることが簡単ではなかったり、離婚や退職と同等のストレスが生じることは少なくない。

 

もし関係解消がすんなりと行く場合は、関係を結んでいた相手はそんなに悪いわけではなかったと後から気付けるかもしれない。

 

 

高級食パンや映えるフルーツ大福など短期間で大きな話題を提供していたビジネスの絶不調への急転が増えているように感じる。

 

外野から見てると、店が無くなったとしか思わないが、当事者の葛藤や苦悩は想像しようとしても脳が拒否するくらいだ。

 

 

 

極めて個人的な感想だが、6〜7年前に近所のチェーン展開してるお菓子店が閉店した、お客はよく入ってるイメージだったので『どうして?』という思いが強かった。

 

その近所に長年経営してる地元の個人の洋菓子店があったが、こちらも地元にうまく密着してるようで上記のチェーン店が閉店後も続いていた。

 

その頃はコンビニスイーツの台頭が著しい頃でもあったように記憶している。

 

そんなある日に、気がつくとその個人の洋菓子店が高級食パン店に変わった。

 

経営者が同じなのかはよく分からなかったが、その頃の空気感として洋菓子よりも高級なパンの方がウケが良いというのはなんとなく感じていた。

 

高級食パンは2〜3回買ったが、たまに食べるならケーキの方が良いなという印象でその後は買わなくなった。

 

気が付いたら高級食パンの店は唐揚げ店に代わっていた。

 

経営者が同じなのかは分からない。

 

長続きしないことの特徴としてFC(フランチャイズ)展開であることを意識せざるを得なくなる。

 

 

FC展開には二つの立場がある。

 

 

通常、権利や商標、ノウハウなどを提供する側をフランチャイザー(本部、略してザー)と呼び、受ける側をフランチャイジー(加盟者・加盟店、略してジー)と呼ぶ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランチャイズ

 

 

 

 

本当に長期に渡って儲かる事業ならば、ノウハウは他者に教えず自分及び身内や仲間で独占したいと思う方が自然なはず。

 

逆にいうと、一過性のブームをリードできた場合には、ブームが維持できてる間にそのノウハウを切り売りして売り抜けたいと思うはず。

 

あるいは、FC展開することを念頭に一瞬のブームの演出にあの手この手を尽くしているとも言えるだろう。

 

そのような切り売りされていて、どれだけ持続するか不明なブームに手を出すメリットがあるとするなら、すでに長年に亘って土地や店を持っていて且つお客や市場を持っている地場経営を堅実に続けてるような事業者がノウハウを奪って自分流にアレンジしてやろうと思うような場合だけだ。

 

 

つまり、FCの本部に依存する必要がある場合には成功の可能性は限りなく低くなる。

 

FCに似たものに暖簾分けがある。

 

ノウハウを知り尽くした身内の独立に対して看板の使用を認める仕組みだ。

 

この場合はFCにつきまとうネガティヴな要素を最小化できるように感じられるし、そもそもブームに乗っかるという薄っぺらさがほとんどない相互補完の関係性が見えてくる。

 

 

FC展開とは限らないが、無人販売にも似た匂いを感じる。

 

お客という存在は、不特定多数で次から次に湧いてくるような存在だと思い込んでいるのかもしれない。

 

お客には二つの大きな特徴がある。

 

本当に自分が何を欲しているかを理解できてる人はごく少数派だという点が一つ。

 

もう一つは、売り込まれるのは嫌だが、自分の好みを心地良くリードして欲しいというめんどくさい感情だ。

 

 

この感覚は、事業をしていても出てくるのだろう、だからフランチャイズに惹かれる人は多いし、FC展開で釣り上げようとする動きも無くならないのだろう。

 

 

新しく何かを始めたいけど自分にはアイデアがない、そう思ってる人はきっと撒き餌に飛びつくのだろう。

 

ツキが回って来たと撒き餌に飛びついた後で、回って来たのはツケだったと気付く人がまた増えるのだろう。