ふと思った。
ブログはインターネット上の日記という触れ込みで始まったんだよなと。
昔ながらの日記の場合、他人に読まれることを想定してるのは交換日記くらいで、その場合の相手は他人であって他人ではない。
それに対してブログは不特定多数の他人に読まれることが前提。
昔ながらの日記であろうとブログであろうと、どのくらいの人が書いたものを読み返しているだろうか?
よく言われることに、男性は記憶をフォルダー保存し、女性は上書き保存する、というのがある。
でもこのことは男性か女性かということよりも、フォルダー保存派と上書き保存派に分かれると理解した方が良いとすれば、上書き保存派は昔ながらの日記であろうとブログであろうと読み返すことは少ないような気がする。
上書き保存派が読み返す場合は、思い出ではなく記憶の確認の必要がある場合だけのように感じられる。
それに対してフォルダー保存派は、思い出に浸れるような内容に関しては読み返すことが少なくないように感じられる。
長年昔ながらの日記を書き続けた人が読み返したいないう内容が思い浮かんだ場合、日付の記憶が正しくないと読み返したい内容に辿り着くのは一苦労だろう。
一方ブログの場合だと、キーワード検索で結構な確率で書いたものに辿り着ける。
私は昔ながらの日記は小学生の頃の宿題以外では書いたことがないが、ブログレベルでも以前書いたものを読む機会があった場合に、古い写真を見るような思いと重なることがある。
『ああ、こんな感じだったな』と思ったり、『あれ、こんなんだったけ』と思ったり。
世の中は螺旋を描くように変化するという。
紙に手書きで書く昔ながらの日記が、デジタル上にキーボードを使って入力するブログになり、さて次はどのようにシフトするのだろうか?
キーボード入力が音声入力になるというのや、ChatGPTに書かせるというのは変化やシフトとは言えないような気がする。