何事も法則化するのが好きな人類は、さまざまなことに周期説を当てはめようとする。
一旦当てはめるとそれっぽく通用する。
7の倍数が多いように感じるのはラッキーセブンの影響のようにも感じるが、それ以外にも世界の七不思議や七つの大罪を始め、例えやタイトルにも七という数字はよく使われる。
この数字が時間や頻度を示す場合、現代はますます数字が小さくなる傾向にある、単純に言えばスピードアップしてるからだ。
七年目の浮気という定説があるが、今や付き合い始めた瞬間、あるいは結婚した瞬間から浮気をするなどという話を聞いても誰も驚かない。
かつては七年かけて生じて心境の変化や行動の変化が、スピードアップして短時間化している。
昔の世界一周は、予定など組めない命と人生を賭けた大冒険だったが、今や予定を組んでまったりと実現するものになっている、同じ期間をかけたとしてもだ。
流行や革新が周期的な動きをするように見えるのは、何段階かのプロセスを経るからだ。
世に登場し、最初に新しい物好きや目利きが注目したものが徐々に広がり、やがて大衆を取り込む、そして最後まで反応しない人がいる一方で、最初に飛びついた人たちが別の新しいものに注目し始め離れて行く。
こういうことが一定時間(つまり周期)を描くと考えられるのだが、周期が短時間化するということはプロセスに変化が出てるということかもしれない。
現代の風潮からすると、流行や革新が起こるならば、最初の段階つまり他の誰もが注目してない段階で取り入れる必要があると考えるひとが増えた。
少しでも出遅れたと思ったら、それには飛び付かず別の何かを探す方を選ぶという人が増えたとすれば、一つの流行や革新がかつて描いたようなプロセスを経るのではなく、先取りサーフィンを短い間隔で繰り返すことになり、そのことが周期の短縮化につがるのだが、このような場合多くのものは流行や革新とは扱われず世間に埋没することも多いはず。
結果として、流行や革新として顕在化するのはやはり従来の周期説に近い期間を経て現れるのかもしれない。
ところで周期説には7の倍数が多いと書いたが、これが7年や14年ならば(数字の厳密さはさて置き)、その前の周期に心当たりがあればデジャブを感じるかもしれない。
『あっ、あの時と似てる』と。
この思いが何かのヒントや気付きの役に立つことはありそうだ。
一方で7の倍数が28年を超えると、気付いても特に感慨もなくスルーしても不思議はないし、気付くことすらないかもしれない。
人間の寿命が伸びたといってもその程度なのだ。
周期説は、未来を予想するために過去を分析解析するから生まれる。
当たるとすれば人間の気分の変化を上手に捉えてるからだろうが、実際には地球や自然の気分の影響を多分に受けるので正確性には乏しい。
周期説に目を向けると、人も地球もそしてきっと宇宙も、気分で生きているんだろうなと思えてくる。