事件や事故が起きると気になるのがいわゆる5W1H、
- When:いつ
- Where:どこで
- Who:だれが
- What:何を
- Why:なぜ
- How:どのように
事件や事故を複雑にしたり謎めかせるのは5と6を巡ってが多い。
推理小説や刑事ドラマでお馴染みのアリバイやトリックは5W1Hを巡ってだ。
事件や事故の解明ならば、5W1Hの組み合わせの正解はほぼ一つに収束するが、これが成功や失敗の要因を探るというテーマだと、ある特定のプロジェクトに関してですら5W1Hの組み合わせはたった一つの正解に収束するということはない。
5W1Hには動かしようがないものもあれば、一つに絞りようがないものもあり得る。
作品を鑑賞してどこがどのように良かったかを問うような場合だと一層収拾がつかなくなるはず。
ラジオを聴いていると、一人のアラフィフのパーソナリティが映画タイタニックを観たことがないと言っていて、他のパーソナリティが『嘘でしょう』とリアクションし、リスナーに対して『タイタニックを観たことがない人に観たくなるようなプレゼンをメールで送って』とやっていた。
それからしばらくすると続々とメールが届いたようで紹介が始まった。
恋愛映画としてのアピール、
海洋パニックムービーとしてのアピール、
危機に瀕してのさまざまな生き様という人間ドラマとしてのアピール、
具体的なシーンや映像の迫力を訴える声もあった、
などなど。
これらはそのどれもが正解のはずだが、自分の意見にこだわりがある人ほど自分の意見と違う他人の意見を聞くと、大きな声で否定したりはしないが『そこじゃないんだよな』と思ったりするもので決して一つにまとまったりはしない。
いろんな意見を聞いたそのパーソナリティがタイタニックに興味を持つことはなかった。
タイタニックの場合、観た人のほぼ全てに近いくらいの人が良かったと思ってるかもしれないが、どこに魅力を感じたかはおもしろいくらい一致しないはず。
見どころが多数あるからこそでもある。
大谷翔平はなぜ成功したのか?
医学や運動学があらゆることを調べてその能力やパフォーマンスの再現性を求めるだろう。
それが本人の努力のみの結果ならば再現性に可能性が見出せそうだが、親から受け継いだ遺伝子や親が与えた幼少期から成長期に掛けての生活の要素も加味すると、再現性は限りなくゼロに近いくらい低くなるだろう。
あらゆる要素を考慮に入れるほど、運が良かったから、としか言えないのかもしれない。
将来偉人伝が出る時には、読みやすいように5W1Hが整理されまとめられるのだろうが、肝心要の部分は表現不可能なままだろう。
再現性を求めるとか高めるというとアカデミックなアプローチに感じるが、表現を変えるとモノマネに過ぎない。
エンターテインメントとしては立派なジャンルの一つだが、あくまでもオリジナルの本物があればこそ成立する芸に過ぎないのだ。
気をつけよう、5W1Hに取り憑かれると再現性を求めるようになる。