キャラクターには一貫性や統一感を求めるのは自然なこと。
それが成り立つから小説やドラマの登場人物も成り立つ。
特に長期に渡るシリーズものでは。
しかし、現実社会ではキャラクターが一貫性や統一感を失うことはよくある。
それは、時代の展開や時代が起こす波が荒いからかもしれない。
多くの人が自分が関心を持ってる狭い世界ではそういうことが頻繁に起こっていることを感じているかもしれない。
区別しておきたいのは意図的に変更を目指すような場合だ。
例えば、進学や就職や転職を機に消極的な生き方から積極的な生き方に改めたいと思うような場合で、別の表現をするならリセットになるだろうか。
このリセットを行う場合は、良くも悪くも過去との訣別もセットで、生まれ変わるくらいの気持ちを必要とする。
それに対して、過去の栄光や実績とは訣別できない場合に起きるのがキャラクターの迷走だ。
人間だけとは限らず商品もだ。
トヨタのクラウンの新型が話題になるたびに、セルシオ登場以降のクラウンは明らかに最上級車ではないのに過去の栄光を捨て切れないと感じていた。
その後販売チャンネルとしてのレクサスの登場に至っては、ただのオジさん車に成り下がったと感じていた。
そして昨年から今年に掛けて何度となく新型の話題を振り撒いていてSUV化するとかスポーツカー化するなどと。
クラウンという名称やブランドに拘る限りキャラクターの迷走としか思えないのになぜクラウンに拘るのか哀れになる。
そしてやはり最近だが、キャラが迷走してるなと思ったのが次の件。
国生さゆりが山口4区補選で有田芳生氏に噛みついた狙い 元おニャン子の政治家に刺激された?
〜〜以下引用〜〜
「昨夏の参院選で、自民党候補として出馬した元おニャン子の生稲晃子さん(54)が初当選したのが大きいでしょう。かつての仲間らは、清楚なイメージがウリだった生稲さんが国会議員になるとは、と驚いたようです。おニャン子時代、生稲さんの会員ナンバーは目立たない40番。一方、国生さんは、番組をグイグイ引っ張るフロントの8番。生稲さんが国会議員になれるのであれば、私も──と考えても不思議はないでしょう。『政治に興味、関心あるけど』みたいな雰囲気を匂わせたのかもしれません」(野党国会議員秘書)
〜〜引用ここまで〜〜
この記事では触れてないが、別の意見としては第二の三原じゅん子的なキャラを狙っているのかという指摘もあった。
このようにキャラの迷走は違和感として目立つしツッコミどころが多いのだが、それは現状をなんとかしたいという一生懸命さの表れでもあるかもしれない。
最近のビジネスでは商品やサービスを展開する場合、想定顧客像のペルソナを細かく設定することが増えているが、このペルソナもキャラの迷走が増えてるかもしれない。
エゴサーチする心理も自分のキャラに自信がないから常に確認したいのかもと思うと納得できる。
以前エゴサーチに関してChatGPTに聞いた時に、エゴサーチはやり過ぎると自己肯定感が低下すると答えていた。
キャラが迷走すると自己肯定感が下がるというのは当たり前かもしれない、キャラが安定してる人はきっと自己肯定感が強いはずだから。