『即物的』という表現は反対語が分かりづらいが、反対の意味としては『理想や夢が感じられる』となるだろうか。
『日本人はエコノミックアニマルのようだ』、1965年(昭和40年)パキスタンのブット外相の国際会議の場でのことばだ。
『エコノミックアニマル』何とも即物的な表現で、それはその当時なりの生産性や効率を追い求めたからこそだろうが、当時は蔑称だった。
それは日本や日本人が強敵だと認識されていたということでもある。
それから半世紀。
エコノミックアニマルと呼ばれたことを褒め言葉だと思い込んでる日本人は多いし、いまだにお手本にしてるのがブラック企業だ。
そんな日本や日本人を世界はもう強敵だと思っていない。
生産性や効率は世界の誰もが意識し求めるものになり蔑まれる概念ではなくなると、日本人のエコノミックアニマルぶりは相変わらずだが、生産性や効率が失われていったからだ。
エコノミックアニマルぶりは相変わらずの日本人だが、意識は生産性や効率には向かわず、執着に向かっているだけ、これでうまく行くはずだという執着に。
即物的な生き方の成れの果てが感じられる。
理想を持たずに数字ばかりを追いかけた結果だ。
社会に出る前は偏差値を、社会に出てからはお金。
理想や目的と結びついた数字ではなく、ただ単に数字を増やすことを目標に。
即物的の反対概念が理想があることだと上記で書いたが、当てはまる反対概念としては他にも『汗をかく的』なものなどもある。
この場合の即物的が意味するのは、便利や快適や楽だ。
目的を達することが買うことで得られる、そんなことが増えたことも即物的を助長してるのだろうが、おもしろいことに世の中の課題が即物的に対応できないことが増えている。
環境問題や持続可能性に疑問を持たされることが増えていて、これらの多くは買うから起きたことでもある。
過度に買うことが生んだ世の課題は、売ってるものを買うことでは解決しないというのが何とも興味深い。
即物的ではないとはどういうことかGWに考える人いるだろうか?