違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

キーパーソンを求めて

誰にだっているのだろうかキーパーソンは?

 

当てにしてる人や頼りにしてる人であり信頼できそうな人。

 

そして結果を出せる人であり結果を出させてくれる人。

 

 

かつてのバブル景気の日本では政治や経済のキーパーソンが占い師だと言われていた時期がある。

 

そして最近では宗教家がキーパーソンだと明るみに出る事件が目立つ。

 

大きな世間の流れとしては衰退してるだけに見えても、キーパーソンの神通力はキーパーソンを取り巻く環境ではまだ生きているのだ。

 

 

努力や頑張りが実を結ぶか否かは、キーパーソンを上手く巻き込めれているかが分かれ目だったりすることは世間には多い。

 

キーパーソンが雲の上の人ならば直接繋がるのは至難の業だ。

 

だから何段階も仲介者がいたりする。

 

キーパーソンなりのセキュリティチェックであるとともに、そうすることで神通力を担保してるのだ。

 

昭和の大物芸能人はプライベートを明かさないことでタレントとしての価値を守ったように。

 

 

だから、本当のキーパーソンと自分の間で仲介者のような役割をする人をキーパーソンと呼ぶ場合もあるだろう。

 

 

政治家とコネクションを作りたい場合のキーパーソンは秘書だろうし大物芸能人と知り合いになるきっかけとしてはマネージャーの存在はキーパーソンそのものだろうし、野心や下心を満たそうと思うなら紹介や仲介の労を求めることが何より効率的なのだ。

 

結果、秘書やマネージャーや仲介者が権力者もどきになる場合も少なくない。

 

こういう構図は、どんな関係性であっても成り立ちそうな気がしてくる。

 

ロシアが起こした戦争はプーチンが起こしたとされるが、プーチンにもキーパーソンがいるとしたらそれは誰だろうか?、などと。

 

 

 

身近な事例で言うと、詐欺における黒幕や指示役とは?、と考えていて、これらもキーパーソンと括れるなと気付く。

 

しかし、一連の詐欺事件におけるキーパーソンとその取り巻きの関係性は恐怖で縛ることであり、使い捨て的な利用に過ぎず、信頼関係など最初から皆無という点は従来と大きく違う点だ。

 

 

しかし、現実社会では誰がキーパーソンなのかが簡単には分からないことが多い。

 

だから、当たれば儲け物とばかりに人と知り合うことに夢中になる人は多い。

 

死語とも言われる人脈や人脈づくりに対するエネルギーは、フォロワーやいいねの数を競うことに向けられてると思うと、概念は死んでないことが分かる。

 

 

コロナを気にしなくて良くなったことで対面の場はますます増えることだろう。

 

サラリーマンの飲み会はコロナ禍で習慣そのものが消えたということも少なくないだろうが、キーパーソン探しや人脈づくりは復活してもおかしくないかもしれない。

 

結果を求める野心や下心の向かい先はそう多くはないのだから。