経費削減のために社員を解雇することをリストラと呼ぶようになったのはいつ頃だろうか?
ウィキペディアのリストラを見たがはっきりしない。
21世紀に入ってからのことだと思うので、Google Trendsで検索の推移を見ると、どうやら2008年のいわゆるリーマンショックの頃のようだった。
グラフの動きからそれまで認知されてなかったワードが一気に認知され始めたことが感じられる。
今となっては15年前の話だ。
ChatGPTの登場以来、それなりに荒波を乗り切ったというか何とかやり過ごしたであろう知的職業に携わる人々が職を追われる恐怖を感じているという話を聞くようになった。
実際にChatGPTを使って自分の仕事ぶりと比較するからこそ感じる恐怖なのだろう。
それは質的に大差ないのであれば、コストが小さい方が良いし、24時間文句も言わずに働けるとなると、どちらが良いかは比べるまでもない。
質的に少し物足りない程度であっても、15年前のリストラと同じ現象を起こし得るかもしれないとなるとやはり危機感を誘うだろう。
あらゆる分野で、さまざまな尺度が適用されているが、そういう現場で格差の拡大が当たり前になっている。
同じように行動しても得られる結果は大違いというのが格差の正体だが、しかしながら一人の人間として比較すると同じ現場で通用してる人であれば質的な違いはそんなに大したことないことにも気付いているはず。
グローバル化したことで、誰でも自覚がないままに世界と繋がる生活を送っている。
つまり、自分の生活環境の外で起きた出来事の影響を避けることができないことがある。
地球の裏側の地域で蝶が羽ばたいたことが影響して大問題が起きるようなことをバタフライ効果と呼ぶ。
ちょっと失敗はしたかもしれないが、悪いことはしてない、それなのに受け止めるには辛すぎるような出来事が起きるような場合、バタフライ効果のとばっちりを受けているのかもしれない。
悩んだり落ち込んだりしても得になることはない。
反省くらいはしても構わないが、得になることはないかもしれない。
不運なことは全てバタフライ効果のせいにしよう。
幸運もバタフライ効果で訪れるかもしれないのだから。