思うことがあって辞書を引いた。
昔の紙の辞書だ。
なんとめんどくさくて且つ得られる情報量のなんと少ないことか。
それ以上に、50音の順番を常に考えるというだけの作業がいかに頭を使うかも実感させられた。
ネットを使ってあるいはスマホやPCの内蔵辞書を検索するということと比べると、進歩や進化の逆体験だなと感じた。
理屈の上では、人はすごく進化してるはずなのに、そう思えないのはなぜだろうか?
進化したのは人ではなく、人の周りの周辺環境だけだと思うと納得できそうな気もするのも不思議な感じがするが、紙の辞書を引く作業を大変に感じたことが不慣れなせいを差し引いても発生していたことを考えると、周辺環境が進化すると、その分だけ人間の能力は退化してると思えてくる。
「紙の辞書を引く」という部分を「暗算をする」に置き換えるとより一層退化を実感できる。
算盤は暗算力を進化させたのに対し、電卓や表計算ソフトは暗算力を失わせることに作用してるのは明らかな気がする。
暗算力を失った代わりに誰でも間違わない計算を素早くすることが可能になったことは間違いなく進歩ではあるが、人間の機能の退化にはつながっている。
それは必要ない機能が失われているだけと思って良いのだろうか?
辞書を引くことや暗算のことを考えていたら、包丁が頭に浮かんだ。
野菜や果物を切ったり剥いたりするのに包丁を使うよりも、最近は専用の道具を使う方がはるかに簡単でしかも安全になっているし、百均アイテムにもなっている。
ふと、失われているのはサバイバルのセンスや能力かもと思い当たった。
少子化にしても人口爆発にしても、それに加えて化石燃料エネルギーをふんだんに使えなくなることも地球温暖化も、確実にサバイバル能力を要求する事態なのだが。
そういえば最近のアウトドアやキャンプって、以前のようにサバイバル能力を必要とするものではなくなっている。
アウトドアやキャンプ経験が豊富でも、非常事態に強いわけではないのだ。
サバイバル力をキーワードにして検索したら、次の二つが目についた、どちらもつい最近の話だ。
8歳の男児が、
木の下にもぐり込み、
枝や葉で体を覆い、
雪のきれいな部分を口に含んで水分を取った。
ジャングルに小型機墜落 赤ちゃんら子ども4人、半月後に生きて発見
小型機は5月1日未明、密林に墜落した。機体の残骸からは、操縦士をふくめ大人3人の遺体が見つかったが、13歳、9歳、4歳、生後11カ月の子ども4人の行方が分かっておらず、軍などが捜索を続けていた。
子どもたちは果物を食べ、棒や枝で即席のシェルターをつくり、風雨をしのいでいたとみられている。
現代人は、ITやAIなどで武装してるがサバイバル力は高まっているだろうか、サバイバル力を発揮するためには健康でタフな身体だって必要になる。
大人よりも子供の方がサバイバル力がありそうに感じられるのも興味深い。
何かあったら病院に行けば良い、何かあったら介護して貰えば良いと思う人の辞書にはサバイバルは載ってないだろう。