『AIって何だっけ?、ああそうだ人工知能だ』、そんなことを思っていたのは2015年頃のように記憶している。
AIの賢さが人間を超えることをシンギュラリティ(技術的特異点)と呼ぶが、この概念が生まれたとされるのは1993年。
シンギュラリティをAIが迎えると何が起きるかというと、AIが人間の雇用を奪うとされている。
機械化、自動化、IT化、どれも雇用を奪ってきたが、奪われたら奪われたなりに別の何かが見つかっていた、その都度給料や待遇は悪くなったかもしれないが。
AIが仕事や雇用を奪うと、奪われた人に次の行き場はあるのか?
そんなことを考えながら思った話。
コロナ前からIT化の裏方として各分野にAIが浸透してることは誰もが感じていたが、それは単なるIT化の延長線上で予定調和なものだった。
しかし、2023年ChatGPTの急速な浸透で一気にAIが雇用を奪うということが現実味を帯びてきたと考え、ChatGPTを恐れる人が増えているように感じる。
ChatGPTを恐れてる人は、過剰にChatGPTが役に立たない、簡単なことを間違う、と声高にアピールしてる人に多いと感じる。
AIが仕事や雇用を奪うと考える場合、誰もが頭に描くイメージは、アウトプットが人間より優秀だからだろうということだが、個人的には少し違うイメージを持っていることに改めて気付いた。
アウトプットの内容やレベルとは別に、ChatGPTには心地よいコミュニケーションが感じられるのだ。
それは言葉遣いであり、質問や疑問を意図通りに解釈してくれてることに対してだ。
アウトプットそのものに関しては、やっぱり自分が頑張るしかないかと思うレベルでも、良き仲間とコミュニケーションを取った後のような気持ちが得られるのだ。
社員数の多い会社ほど、コミュニケーションに関して問題児はいるだろう、年齢や社歴や肩書きに関係なく。
極端に自我が強いが故にコミュニケーションに問題があっても超優秀な人ならば存在価値は保てるかもしれないが、能力が並若しくは並以下でコミュニケーションに問題があるような人ならばChatGPTの方が100倍マシなはず、周りの人を不愉快にさせることはないはずだから。
ChatGPTは不愉快の一掃には効果があるだろうが、だからと言って日本では簡単にクビにはできない。
そうは言っても、明らかに居場所を追われるはずだ。
最近の日本では仕事の多くは誰がやっても同じようなものだろうから、それこそChatGPTの得意分野だろうし。
主張ばかりで協調性のない人は、少しは振る舞いを変えた方が良いかもしれない。