考えや意見を伝えるあるいは表現するに当たって、意識するようにと教えられ続けてきた言葉がある。
これらが整っていないと、言いたいことや表現したいことは、伝えたいようには伝わらない、と教えられてきた。
起承転結や5W1Hが上手くまとめられてないニュースは、結局何が言いたいのか分からない。
教えることが上手な人は必ず意識して実行してるはず。
その一方で、きちんと説明されないと理解できないのは頭が悪い証拠だというような思い込みを持つ人も多い。
だからこそ『一を聞いて十を知る』ことを賢いことだと思ったりする。
起承転結や5W1Hを回りくどいことと思う人は、結論だけがわかれば良いと思いがちで、結論しか知らない人はその結論になぜ至ったかは上手に説明することはできない。
現実社会では、起承転結や5W1Hをきちんと意識してコミュニケーションが取られてるわけではないし、発信者が意識していても受け手が意識してなければせっかくの起承転結も5W1Hもずれや誤解を生じさせることになる、いわゆる伝言ゲームだ。
事実や真実や真相が知りたいという思いが起承転結や5W1Hを求めるのだが、別の表現をすると、起承転結や5W1Hが整うとそれは一つの物語になる。
物語には脚色や演出は付きものだが、そこはスルーされがちで事実や真実として罷り通りがち。
物語として理解できると分かりやすくなるのだ。
これは人間にしかできないはず。
人間以外の動物だってコミュニケーションを取ってることは知られてるが、物語にはなってないはず。
フェイクニュースや陰謀論や詐欺はどれも分かりやすい物語を伴って展開されている、だから不安や恐怖が伝染するのだ。
ロシアがウクライナに仕掛けた戦争に関しても、多くの人が報道で伝わる映像などを踏まえて自分の脳内で組み立てた物語として認知してるに過ぎないのだが、物語ではなく事実として認識してるつもりになってるはず。
人間は良くも悪くも自分で作った物語の中で生きているだけなのだし、コミュニケーションとは相手との物語合戦なのだ。
勝った負けたと捉えると新たなストレスの物語が余計に増えるだけ。
人間という生き物は、脳内で物語ばかり作っているのだ、あの手この手で脚色や演出を加えながら。
物語は自分の環境を無視して組み立てることは不可能なので大満足する物語を描くことは簡単ではないだろうが、心地良い程度の物語ならば自分次第でどうにかなりそうにも思える。
所詮物語、されど物語、人生は物語だと知ってることが大事。
人生は物語だと軽く考えられないと、先祖の悪い因縁を背負っているなどと重い物語を背負い込むことになる。