違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ハッキリ表現すれば良いってものではない

意味を分からせることが目的ならば、はっきり分かりやすく表現すれば良いし、むしろその方が良い。

 

しかし、これが俳句となると、はっきり分かる表現は野暮にしかならない。

 

 

意味がはっきり分かるだけでは心が動くとは限らない、いやむしろ動かない。

 

 

聞き手の想像力をかき立てることが大切で、そのためには表現に工夫が必要になる。

 

聞き手が想像力を発動するまでもなくイメージが瞬時に伝わることはプレゼンでは重要だが、そうなるとアートではない。

 

分かりやすいアートは野暮の極みなのだが不思議なことに、理詰めを極めたければアートを必要とすることもあるのだ。

 

 

ハッキリ伝えることや伝わることが野暮で、さりげなくほのかに相手に感じさせるのが良いということを集めてみた。

 

この手法は伝わらなければゼロだが、伝わりさえすれば強烈な印象を残す。

 

 

香りに関する拾い絵(出典不明)におもしろいものがあった。

 

 

これは二次元なのに香りを立体的に表現できている。

 

 

良い香りでも強くハッキリ匂うと嫌われる。

 

ましてや良い香りだと感じてもらえなければもはや暴力になる。

 

 

さり気なく香るから印象だけが強く残るということもある。

 

 

 

開発行為も露骨だと野暮になる。

 

コンセプトということば遊びではなんとでも言えるが、あまりにも野暮すぎると、取り返しのつかない『覆水盆に返らず』になる。

 

 

 

 

どれだけ他人からボロカスに口撃されても全く怯まなかったガーシーは実家に捜査が及んだら狼狽えた。

 

 

 

 

『お母さんが泣いてるぞ』という昔ながらの刑事ドラマの定番のテンプレートは現在では使われることは少ないが、現代の手強い相手には意外と効いたのだ。

 

 

ハッキリ分かりやすく表現すれば良いってものではない。

 

表現にも当てはまる、押してもダメなら引いてみろ。

 

 

売るためには良さが伝わらなければいけない、売れないのは良さが伝わらないからだ、その対策があの手この手のメリットの押し売り。

 

それでも売れないならばとメリットをでっち上げ、これを繰り返すからユーザーや消費者との乖離はますます拡大する。

 

イソップ童話の北風と太陽では太陽が勝ったが、現実社会では北風派と太陽派に分かれ争っている。

 

舞台が灼熱の真夏ならば、北風が圧勝する展開だって描けるだろうが、当分ははっきり分かりやすい表現は野暮なのだ。

 

北風派であろうが太陽派であろうが、はっきりではなくさりげなく伝えられなければ相手の心は動かせない。